2013年10月07日

井戸一重口水指

庭の金木犀が満開です。
小さな、小さなオレンジ色の花が、ホロリホロリとこぼれない内に、
井戸一重口水指に投げ入れて撮影しておきました。

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すっかり秋めいて…
それでも、そこここに小さな花を見つけると愛用のiPhoneのカメラを向けます。
こちらは、窯小屋の横で、やはり小さな小さな白い花をつけていたプラムの花。

プラムの花
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そして、窯小屋の地面に、一輪だけ咲いていたハナニラの花
種が飛んできたのか、さほど陽当りもよくない、窯小屋の裏に咲いていた。
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薪の細割りを済ませ(10t手動薪割機を購入したおかげで今年は薪割りが楽にできました。)次の窯焚きへの準備も万端。
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こちらは、近所の老人施設の秋祭りに夫と犬の散歩がてらお邪魔してきた時、
デイサービスに通っていらっしゃるお年寄りが手作りしたというお手玉を販売していたので購入。
海外のお友達へのプレゼントに、二個入りのお手玉ですが10組を買い占めて参りました。
金彩黒茶碗をバックに撮影。
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【水始涸】(きょうの暦より)
みず はじめて かる

色づいた稲穂が頭(こうべ)を垂れる頃、水田に張られていた水を落とし、刈り入れの準備。早生種の稲刈りは終わり、稲刈りで田に落ちた穂を白鷺がついばんでいました。

枯淡などまつぴら色を変へぬ松 鷹羽狩行




posted by 丸山 陶李 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2013年09月26日

喜左衛門に会える

根津美術館 特別展
【井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ】

2013年11月2日(土)〜12月15日(日)
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/next.html

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高9.8 口径15.4 底径5.3 (p)
国宝指定年月日:19510609
孤篷庵
国宝・重要文化財(美術品)


こちらは9月9日に窯出しした私の井戸立ちぐい呑み

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今日は、薪5束を細割りにしました。
良い運動。

喜左衛門に会える日を心待ちにして。
この展示会は「井戸茶碗」の名碗が揃う。
講演会もあるので、申し込みたかったが、ちょうど海外の展示会の頃。
残念だけれど、講演会はまた機会があれば、伺うことにして、
今秋は、大井戸茶碗「喜左衛門」を根津美術館でじっくり拝見したいと考えています。

posted by 丸山 陶李 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2013年09月19日

玄鳥去 つばめさる

玄鳥去 つばめさる

燕が南の国に帰る頃。
秋の深まりも足早に感じられます。


窯の修繕と薪割り

窯の内部から焚き口(薪投入口)を撮影した写真。
炉内の煉瓦が膨張して、真四角の焚き口タイルがぴったり収まらなくなってきたので特注で焚き口タイルを注文し、ダイアモンド・グラインダーを耐火煉瓦を削るために購入してきた。

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またエンジン薪割り機や、鉈での薪割り作業に気が重くなっていたが、会津本郷焼の陶芸家の紹介してくださった手動薪割り機を購入することに決め注文した。攻め焚きだけ薪を投入するので、大量の薪は用意しないが、投入口のサイズに限界があるので、ある程度小割りにしないと使えない。エンジン薪割機ほどの威力はないが、あの爆音は我が陶房付近で轟かせたら顰蹙ものだ。



クヌギ・ブナなどの堅木の薪を15束を車で運んできた。今日は、あと15束を追加注文した。
細割り木だと手動薪割り機のお世話にならなくてもすみそうですが、横焚き口は細いので、やはり薪割り木は必要だ。節の部分など私のひ弱な体力では割り切れない。重宝しそうだ。

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今朝は、灯油のロータリー・バーナーの清掃をし、窯の修繕をし、棚板のアルミナコーティングを塗りなおした。次の窯焚きの準備万端のはず・・・ですが。

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今週末は窯出しした生徒さんの作品をお渡しする予定だが、皆さんが作品を手にする時の嬉しそうな顔と、焼成後の作品と焼成前の作品とのギャップにとまどう顔が浮かんでくる。生徒作品より、「砧花入」を紹介します。灰被りの場所で薪で焼成したものです。

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posted by 丸山 陶李 at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 陶芸・個展関連

2013年09月10日

井戸 一輪挿し

草露白 くさのつゆしろし

早朝、野山を歩くと木々の葉や草花に小さな露が降りているのに気がつきます。
露は放射冷却などで空気中の水蒸気が冷やされてできるもので、夏から秋への季節の変わり目など、朝晩の気温が下がるときによく見られます。
「露が降りると晴れ」といい、足元を濡らす朝露は清々しい一日を約束してくれます。(くらしの暦より}

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秋風がすずやかになり、近くの田では稲刈りも終わり、「もみ殻」を炉端でジワジワと焼き黒い「もみ灰」ができて行くのを見かけるようになりました。

「もみ殻」を黒く焼いている時、傍を通りかかると独特の香りがします。
昔の人は、半農半陶の生活が主であったと言いますが、「土」そのものから稲を収穫し、藁や籾殻から「灰」を作り、釉薬としていたことが実際に、こうした光景の中から頷けます。

焼成も、窯に火を入れたら、窯の床を焼き、ちょっと農作業しては、また窯の火を入れ。というような一気に焚きあげる方法ばかりではなかっただろう、と推察しています。

近くのモミ殻を焼いている光景です。真白くなるように一気には焼かないで、何日もかけてジワジワと黒く焼きあげています。

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私は、猛暑が去るのを待って、窯を焚きました。
主に生徒さんの作品ですが、今回は初めて「灰被り」のできる窯床を用いました。
攻め焚きに、薪を投入するのですが、薪の投入部には「灰被り」の作品を狙える場所があります。
山土と灰を合わせた釉薬を自然釉のビードロがでるように調合し、古信楽の白土を用いて、「蹲」「砧花入れ」「土鍋」などを生徒さんが制作したものに施釉しました。

途中、薪の灰だけでは足りないので土灰もふりかけました。

ちょっとした自分の試験で、この「灰被り」のできる部分に、井戸の水指を置いておきました。
耐火度の高い釉石を用いて、灰を少ししか加えずに、自然降灰の作用とマッチングするように窯詰めしておきました。見事、仮説通り、火回りの悪い高台畳付き内には、かいらぎ、「灰」を被る水指胴体は釉石がよく融けて透明になりました。自分でもちょっとワクワクした実験でした。

灰被り部分ではなく、高温になる窯内に置いた井戸一輪挿し
これは、かいらぎを全体に表出させる実験でもありました。
庭の草を添えて。

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posted by 丸山 陶李 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2013年08月19日

8月15日


8月15日

目覚めと共に、母の命日であることに祭壇に向かう。
線香を立て、手を合わせる。
夕方、聖母の被昇天のミサにあずかろうと心の準備をしている。

日本にとって今日は終戦(敗戦)記念日。
兄弟を戦争で失った父、父の兄は戦地で恐ろしい体験をした。
連れ合いの父も、戦地で恐ろしい体験をした。
父の世代が召される時、戦争の実体験を語れる者は存在しなくなる。

小学生のころ、私は父に度々尋ねた。
「なんで戦争をしたの?」
「また戦争は起きるの?」
「戦争のない国はないの?」

こどもの私は、ただ人が人を殺したり、
切腹とか銃殺とか・・・血を見るのが恐ろしくてしかたがなかった。
「見たくない」「恐ろしい」というこども心が、父への質問となったのだろう。

いかなる理由があっても、戦争は人殺しなのだからしてはいけない。
このシンプルな理が通用しない。

歴史書をすこしずつだが、私の中でいまだくすぶっている「なぜ?」を紐解くために読み進めている。

そこに見えてくるものは、
宗教や、国や、利権や、テリトリーや、思想や主義主張の違いが、戦争となっていく発端にあること。違っていることに対して、自分が正しい(利したい)という我欲を、「国のため、国民のため、ドグマのため、信仰のため、思想のため等々」にすりかえて人殺しをしてきた人間の歴史。

何かを守るために、名もなき小さな人々の命を生贄のごとく要求している。
人の命を要求する、ということが何を示しているのか。

それは何かを守るという名目で、何かではない命は抹殺されてもかまわないという湧き出る欲ではないのか。

あなたを守るために、私は命を捧げるよ。これが8月14日にアウシュビッツ収容所で亡くなったコルベ神父様の生き方だった。身代わりの愛。

まったく逆な考えをしている政治家が恐れもなく発言する内容に背筋が凍る。
平和ボケしているのは、私たちではなく「あなた」ですよ。と申し上げたい。
国を守るために自衛隊を国防軍とするなら、まずあなたの息子を国防軍にどうぞ、と申し上げたい。あなたの息子も自衛隊の息子も同じ「命」であることを認識できないほどに平和ボケしているのだろうか。

我が子が人殺しに加担しなければならないような時代がくることを予感したなら私は徹底的に戦う。

父がかつて召集令状を受けて出征する際に、戦争中で満足に食事もとれない中、祖母は父を連れて祖母の故郷に出向き、父が出征前に腹一杯食べられるようにと田舎の農家から調達したもち米で「おはぎ」を作ってくれたそうだ。

我が子を戦地に送り出さねばならなかった祖母の心やいかに。。。と思う。

父はカトリックの洗礼のめぐみをいただいた。
しかし、今日は靖国神社へ、単純に戦争で犠牲になった人々を慰霊するために参拝にでかけている。猛暑の中。

戦争にいかざるを得ない時代に生きた人も、
戦争を知らない人も、誰一人として命を国に捧げる戦争など望んでいなかったことは真実だろう。人を戦争に向かわしめたものこそ、私たちがこの日、胸に刻みつけなければならないのだ、と思う。

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憲法改正・護憲の問題も、靖国の問題も、自分のものとして判断し自分の生き方として賛成するか反対するか主体性が大切だ。誰がこういっていたから賛成する(反対する)といったものではなく、あくまでも判断は自分で学びながらするものでありたい。なぜならそれが自分の歴史になるのだから。


posted by 丸山 陶李 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を