2006年06月17日

鼠志野茶碗

次の窯焚きは「井戸茶碗」を中心に作品が入り、
その次は、「志野」を焚く予定。

先日から「手捻り」で、志野の茶碗などを制作してきて、
志野に使っている「もぐさ土」は、
電動轆轤より手捻りの方が合っているなぁ、と思う。
ここ数日間、「手捻り」に熱中しておりました。

「鼠志野」茶碗を、いくつか成形しましたが、
すべて白抜きのラテン語が入ります。

「Ave Maria」
「Deo Gratias」
「Sancta Maria」

の三つの言葉を、三つの茶碗に彫りました。
そのうちの一つの画像です。

ns0616-2.jpg

庭できれいな緑色を見せてくれるアマガエルを、
手捻り・・というより、「手遊び」で掌の中で作ってみたのですが、
自然の色には、かないっこないです。

「下絵の具」を使って、緑色に塗ってみました。
焼成後は、どんな緑になるのか?
「下絵の具」は呉須以外は、十年以上使っていないので、わかりません。
眠っていた下絵の具のチューブから出てきた絵の具は、カチカチでしたもの
・・・(汗)。

amagaeru0616.jpg

posted by 丸山 陶李 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 志野・鼠志野

2006年02月17日

茶碗の大きさ

岐阜の陶磁資料館で志野茶碗や織部茶碗を見せていただいた時、大きいなぁ!と思ったのだが、今日(もう昨日ですね)見てきた唐九郎の「唐獅子」も大きく見えた。

男性的で腰が張っていて、鎬やへら目のせいもあり、がっちりとした大ぶりな茶碗に見えた。何度も目を凝らし「唐獅子」でお茶をいただいたつもりになって、自分の掌に戴いている様子を想像しながら拝見した。

帰宅後、求めてきた図録を見て「えっ!」と思った。
直径13センチと書いてあった。
それほど大きな茶碗ではないのだ。
大井戸茶碗などだと約15センチはあるだろう。

「良い茶碗は見込みが広い」と言われるが、「唐獅子」の見込みはゆったりと広かった。正面から見ても側面から見ても、見込みを覗いても13センチとは思えないほどに大きく感じたのだ。

思いがけないことだった。
岐阜の陶磁資料館で見てきた志野や織部の茶碗は皿にも使えると思ったほど大きかった。私の中に、その時の印象が刻まれていたせいなのか、「唐獅子」を目前にしても13センチという直径は意外だった。

こんなギャップは嬉しく思える。
posted by 丸山 陶李 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 志野・鼠志野

2006年02月16日

唐九郎に会いに

雨模様だったけど、出かけてきました。

東京美術倶楽部創立100周年記念(新橋の東京美術倶楽部で)
「大いなる遺産 美の伝統展」
http://www.toobi.co.jp/event/100th/outline.html

国宝の志野茶碗「卯花墻」の展示は昨日までだったけれど
どうしても会いたい茶碗があって行ってきました。

加藤唐九郎の志野茶碗「唐獅子」です。

tokuro.jpg

会場には屏風・日本画・洋画・工芸と様々な作品が並んでいましたが、
高麗青磁や中国磁洲窯の作品など一通り拝見し、ほとんど唐九郎の「唐獅子」の前にいました。

鎬(しのぎ)を入れたへら目や、使い込まれた見込みの様子、筆勢ある鬼板で描かれた唐獅子(一文字)、そして口作りや緋色・・・

唐九郎がこの茶碗を窯だしした時、涙を流したと図録の説明にあった。
改心の作だったのだろう。茶渋が見込みに染み込んで、もぐさ土も黒く変色していた。

唐九郎の志野にかけた念ずるような思いを、全身で感じた。

唐九郎や豊蔵と一緒に土を掘った、亡き熊谷氏のことも思いだし重なり、「唐獅子」の前で、しばし茶碗と語ってきた。
人波がとぎれる度に、茶碗の前に行きじっくりと語ってきた。

帰りに銀座の画廊ツープラスさんに寄り、今日の思い、今年の抱負など話を聞いていただいた。長い時間、話相手になってくれた加藤さんに感謝!

「唐獅子」が語ってくれたこと、唐九郎が語ってくれたこと、そして土堀りさんの熊谷さんが語ってくれたことが、往来している。

すすむべき方向を唐九郎さんの茶碗が指し示してくれたように思えた。

今日の図録、金銀二冊箱入りで2.500円というのは安い。

catalog1.jpg

posted by 丸山 陶李 at 18:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 志野・鼠志野