2010年01月05日

国宝 土偶展

「土偶展」から無事帰還。縄文土器を見る時には「使われたモノ」という視点があるので、デザインや制作エネルギーに圧倒されたが序の口だった。縄文人入り口として。土偶は「これ何?何に使うの?芸術?呪詛?何?何?」と「?」の連続なので一々説明を読みながら鑑賞するはめになった。

純粋に、ありのままを「受け入れられない」物体が土偶だった。謎と不思議と驚嘆の連続。副葬品が多いこともあるのか、あれは「鑑賞するため」のモノではない。大変なエネルギーと強い祈り、何らかの愛の篭りを感じる。疲れた、いやエネルギーを吸い取られてしまうような感覚になった。

仮面の文化?デスマスク?縄文の表現の緻密さ、新羅土器にも繋がっていった部分があると感じる。縄文人が日本に来て、日本に残した土偶。どこから来たのだろう。アフリカのイブが何度も会場で脳裏に浮かぶ。火焔土器に似た土器大作は、実は立体でありながら平面図にすると男女のダンスの様子。

一万三千年前の土の欠片。小さな欠片だったが、想像もできないほどの永い時を経て、眼前に存在する事実。弥生時代に比べるまでもなく某大な流れの中で縄文文化は日本全体を覆っている。縄文人のデザイン、紋様の一つ一つににはこめられてる意味、祈りがあるのは確かだ、と感じる。

かすかに空を見上げるような土偶たち。地を見下ろしている土偶はなかった。時に黒い漆の跡を残し、時に弁柄の朱色を残し、炭化された黒い紋様が炎がつけた紋様にも見え、制作した後にピカピカに研磨され焼成されている土偶や土の作品を見て、大地に生きた一億年もの人間の足跡だと思う。

女体のトルソーから始まり、頭や手足をつけていった土偶。土の塊を四パート接合した方法から中空となっていく。壊されやすい部分を意識したのか、学者の間にも様々な論議があり、定説はないという。輪を積む成形方法が明らかに「壊れやすい部分」を残しているのは接合部分の強弱の不思議。

東博で一番に足を向けたのは、土偶の待つ室ではなく、ある方と再会するため。数年前、ブログで「展示の仕方」に文句を書いたのですが、茶碗の「見込み」が見えない高さだったのです。高すぎて。今日は、かなり低い位置に展示されており、目跡も確認できました。「有楽」様を再訪してきました。

DNAからの考察!これでシュメールとの関係考察もでてくると縄文土器に個人的に「やはり!」なるんですが。。。やっぱり日本人の祖先は東南アジア経由で渡ってきたんだ。http://bit.ly/7arxMe

直感から始まった縄文土器や土偶の紋様、制作の情熱DNA、古代シュメール文化とその後のユダヤ・イスラム・キリスト・仏教との関連。人間の神秘、宇宙の神秘と地球。タギングしてきたことが無理矢理にでなく繋がりが暖かく流れてきている。家族には「シュメール病」と言われるようになったが (笑)。

? 139.jpg
posted by 丸山 陶李 at 02:11| 縄文

2009年11月03日

若冲・縄文土器・阿修羅像(興福寺)

10月21日。国立博物館「皇室の名宝」〜永徳、若冲から大観、松園まで〜 第一期行ってきました。

若冲のカレンダーと、「池辺群虫図」より「生きて(文・小泉吉宏)」を作品拡大画像が紹介されている本を購入。若冲の構図構成力に圧倒される。日本画の中で秀逸、唯一。なおかつ品格もあり、筆致はまさに狂おしい程繊細。ルリハタも穴があくほど眺めさせていただきました。あの青色は、他に見ないです。プルシアンブルー。

若冲は、ある意味で恵まれた環境で描きつづけ生涯を終えたと感じる。同じく生涯独身で奄美に渡った田中一村の生涯を思うと、複雑な思いがこみ上げてきた。どちらの作品にも共通した何かがある。自然界へ向けた「まなざし」、事物への淘汰された愛。孤独。若冲を見ると一村を思い出すのは、何故かな。

「皇室の名宝」展示に、河井寛次郎の大壺があった。生涯、「赤」の発色を得るため、実験と研究を繰り返し、眠る時にも赤く塗りたくった壺を抱えてたという。見事に「辰砂」により赤をほんのりと呈した大壺を拝見して、氏の研究と情熱が伝わってきて励まされた。辰砂の上に藁灰釉を施釉してあった。

B1ショップで。
【阿修羅本】創刊号購入 http://bit.ly/2nlmuu

【縄文土器展示】【仏像展示室】【陶磁器展示室】をめぐったが、縄文土器は陶芸家やめたくなるほど凄い迫力だった。あいつらには適わないと敗北感さえ感じた。美術館や博物館を巡って、このように感じたことは初めて。凄いですよ、土偶・縄文土器・埴輪・陶棺等、目を見張りやがてうなだれた私をご想像くださいませ。縄文人タダモノじゃない。

高麗茶碗「熊川(こもがい)茶碗」青磁茶碗「銘・馬蝗絆(ばこうはん)」の鎹の技術を再認識したこと http://bit.ly/1495wd

李朝・粉引徳利と鶏龍山の盃、どちらもよく育って「雨漏り」が出ていた。ほんのりとピンク色の器胎を見て、陶器の完成は窯出しで終わらない、やはり使いこまれて育つのだ、とシミジミする。大阪の東洋陶磁美術館に伺ったときの李朝陶器の素晴らしさ、日本民藝館で白磁大壺に対峙したときの感動が甦る。



=====興福寺 阿修羅像=====

こんなに美しい阿修羅像。何故「阿修羅」なのか。。。 http://bit.ly/2ZKPwk
我が子の姿を阿修羅像に写し、守らねばならぬほどの何か。阿修羅のあの眼差しの凛、眉毛をしかめた必死の祈り、感じるところがあります。興福寺から「阿修羅を究める」を取り寄せ、読んでいます。梅原猛氏の「法隆寺の謎−隠された十字架」を読破してから、縄文・天平・東北・日本人のDNAなど興味が広がりました。
阿修羅像に出会ってから、一目惚れ状態です。

夏に手がけたWEB制作の後遺症で、右手が動かなくなり特にマウスが使えないです。困苦重なる。

昨晩から今朝の冷え込み。この寒さを、ホームレスの人たちの寒さや命とつなげて心配する人たちもいる。はらわた動かされる思い、黙ってできることをし立ち去っていく人、人知れず援助活動をしている方がいる。それを偽善と呼ぶ情け無い人間になりたくないな。

posted by 丸山 陶李 at 15:34| 縄文

2006年06月22日

縄文土器と東京芸大取手校

取手の土を使って陶器を制作してみたく、
折を見つけては、ドライブがてら、取手市内を走ってみるが
山肌は関東ローム層ばかり。

そこで今日は、陶房に近い「埋蔵文化センター」に行ってみることにした。
縄文土器などが発掘されている場所がわかれば、
おおよそ粘土層のある場所の検討がつけられるからだ。

考古学の展示は、7月18日からということで、展示は見ることができなかったが、幸い親切な職員の方とお話ができ、取手市内の遺跡や縄文式土器についての資料を手にいれることができた。

ちょうど、発掘された土器を洗浄し、乾燥する作業をしている方が、
洗浄しおえた縄文土器の破片を、手にとって見ても良いと許可をくださったので、なめるように見て(笑)、私の指紋がベタベタつくほど、触らせていただいた。

赤い土もあり、白っぽい土もあり、
壷の「耳」であったろう破片もあった。

埋蔵文化センターの資料から、私の陶房付近は、全く遺跡のないところのようだった。でも、取手市内の遺跡は数多くあることがわかり、土探しの大いなる手がかりとなった。

撮影させていただいた、発掘された縄文土器。

jyomon2.JPG

jyomon-mimi.JPG

jyomon5.JPG

埋蔵文化財センターで遺跡の分布図を拝見していたら、
現在、芸大取手校地がある「小文間(おもんま)」地区は、縄文土器の宝庫ではありませんか!これは、ドライブしてみなくちゃと、車を走らせる。

途中、取手駅近くの市のアートギャラリーで開催されている美術展に立ち寄り、取手在住美術家の作品を拝見する。

芸大取手校に入り、車を走らせていると、道筋に「穴窯」が見えてきた。
ちょうど院生一年の皆さんが、7月に火入れするための新しい「穴窯」を築窯中だった。

ブログのリンクにもある佐藤典克さんは、今年から芸大で助手として勤務し始めている。

窯作りをしている院生に佐藤典克さんの話をしたら、
7月の窯焚きには取手に来る予定とのこと。

「取手に引越ししたから、取手校に来る時は寄ってね」と以前、メールしておいたので、
「穴窯を焚く七月には佐藤さんにも会えますね、火入れの日に来てイイ?」
と聞いたら、
「是非いらしてください、いろいろな陶芸家の話を聞きたいし。」と快諾していただき、またまた楽しみが増えた。

佐藤さんが、在学中に築窯した「うさぎ窯」が今年一杯で取り壊しになると伺っていたので、記念に撮影してきた。

usagikama1.JPG

こちらは穴窯。

geidai-anagama.JPG

第一の目的の芸大取手校地付近の「土」だが、
「縄文式土器の宝庫なんですよ、芸大のあるあたりは」と
院生に話したら、
7月に火入れする穴窯の基礎を作っている時、地面を掘っていたら
粘土質の層が有ったとのこと。
掘り出した土を見せていただき、
少し分けてもらったので、
次回の私の窯焚きの時、テスト焼成してみようと思う。

geidai-tuti.JPG

やはり、縄文土器が発掘されているような場所には、粘土層があるんだ!
と、手ごたえを感じて嬉々として帰宅した。
取手良いトコ一度はおいで!です(笑)。
posted by 丸山 陶李 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文