2011年05月31日

水(乙)土 スウルト

多くの学びと恵みをいただいた韓国の旅だった。
今週は、一度テスト窯(ガス窯)を焚いてみようと思っている。
頭の中を、リセットして、一から考え直してテストしてみたいことがある。

頭洞里の井戸茶碗に使われていた釉薬原料の「水(乙)土」
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この土を見ていると、長石を用いた釉薬ではなく、土と灰による釉薬を試したくなる。
灰も、木灰と貝灰(再び)・・・。

もう一つ。
長石そのもののテストだけれど、昨年テスト焼成してみたら、
高麗青磁の雰囲気が感じられたことと、生焼けの高麗青磁の陶片を虫眼鏡で見ていると、
この長石の溶け方と似ているところがあるので、なるべく持ち味を生かした調合にして、
再度テスト焼成してみたいものがある。

なんだか、轆轤を挽いている時以外は、頭の中が忙しい。
試してみたい調合、試してみたい原料、テストしたものを生かすために再テストしたい原料、等々。
陶片を眺めながら考えていると時間が経つのが早すぎて、テストしたいことが山盛り。
テストして少しずつ整理したい。

結局、これらは私の中では、繋がってくるのだけれど。
粉青沙器や高麗青磁や高麗茶碗、井戸茶碗へと。
ああ、もう一つ。黒高麗の釉薬テストもすすめたい原料がある。

頭洞里の土
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7月には、もう一度、韓国へ飛んでみる。
今日、崔先生から電話をいただいて、頭洞里で予定されていた井戸茶碗の資料館開幕セレモニーが市長のスケジュールで10月に延期となったそうだ。
私は7月の陶芸講座の日程を調整してしまったので、空いている週ができてしまった。
これを機会として、一週間ほど頭洞里に滞在して、井戸茶碗の土や釉薬について、さらに確かめて、学びたいと考えている。
posted by 丸山 陶李 at 18:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年05月22日

聞慶窯・千漢鳳先生「高麗茶碗」再現に生きる

Mungyeong potter Doncheon "Chun, Han Bong" His Life!

十数年前、私は茶道の先生のご紹介で、千漢鳳先生の札幌展示会に伺った。
その時、「いつか先生の窯場に伺わせて勉強させてください。」と申し上げると、
先生は、ご自分の名刺をお出しになり、
「せっかく来ても、留守にしていたら申し訳ないから、来る時には、ここに電話してください。」とおっしゃった。
いつか伺おうと願いながら、月日は流れて言った。

今年「聞慶伝統茶碗祭り」に招待され、私は千漢鳳先生と再会した。
先生から直接招待されたのではないが、ご縁を感じた。
聞慶ではTV局や大学からインタビューを数回受けたが、私は特に李朝の粉青沙器の美しさ、
高麗青磁の美しさについて語らせていただいた。

高麗茶碗再現にかけた一生と言っても過言ではないだろう。
千漢鳳先生は、日本に生まれ、国宝「喜左衛門」に感動し故郷の聞慶に帰国してから、サバルと高麗茶碗を中心に作陶し続けてこられた。
「いまだに心を打つ井戸茶碗ができない。」と先生は謙虚に語る。

私のブース(インターナショナル茶碗交流)に会期中何度も足を運んでくださった。
そして、最後の日、午前中皆で先生の陶房を訪問することができた。

あれから十数年、補聴器をつけ、杖をつく先生の姿に歳月の流れを感じた。
同様に私も年を重ねた。
先生の作品展にお邪魔した後、主催者が先生の作陶光景が収められたビデオを拙宅に届けてくださった。
何度も何度も、繰り返し先生の轆轤成形や、釉薬の色、土の作りを拝見し、私は独学の学びを続けてきた。

その先生に再会し、多くの激励をいただいたことが、ことさら嬉しかった。
「日本に帰ったら、あなたの作品のカタログを送ってください。」そう仰ったので、
先日、写真集を先生に送付した。

私の青井戸茶碗をご覧になり、何度も手にとって、
「これを見て、ハッとした。思わずこの茶碗に目がいった。」
「これは大変なことになるかもしれないので、今のうちに買っておいたほうが良い。」これは冗談だろうと思うが(笑)。「聞慶伝統茶碗祭り」の中で「東日本大震災チャリティ・オークション」が開催され、私は二点茶碗を寄付したが、その一点の「枇杷茶碗」を先生のお嬢さん(千慶煕さん・二代陶泉)が落札してくださった。

帰国して先生にご挨拶の連絡を差し上げたが、
今日再び、先生の映像をYoutubeで拝見し、改めて尊敬する師に出会えたことに感動している。
千漢鳳先生は、このたびの東日本大震災にも日本赤十字を通して一千万円の寄付をしてくださった。
そんなこともさりげなく「ヨン様が十億円寄付したのだから、私も一億くらい寄付しなければと思ったけれどね・・・」と仰る。最近は、ペ・ヨンジュンさんが先生の陶房に泊まり込み陶芸修行をなさったとか。

私は、枝葉末節には全く興味がないのだが、千漢鳳先生の高麗茶碗にかける生き方と、温かく分け隔てのないお人柄に深く尊敬の念を抱いている。

2011/5/5 聞慶伝統茶碗祭り会場で
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posted by 丸山 陶李 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年05月10日

Dream comes true! from Korea

Today I visited DO DONG RI.
There is a one of famous old kiln in Korea.
My dream comes true!!
I was very excited today, because I get a very very wonderful chance to learn about Ido-teabowl.
During about 8 hours, I speak a potter who lives in DO DONG RI.
Professor YU san introduced to me one of the potter who lives in DO DONG RI.
Today I can not use Japanese on my PC. so, sorry.
When I will go back to Japan, I would like to write about DO DONG RI.
Now, I introduce a peace of Ido-teabowl by a photo.

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posted by 丸山 陶李 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年04月11日

桜の蕾のような井戸茶碗

震度6の地震に耐えて、窯の中から生まれてきた井戸茶碗です。

春の麗らかな桜の蕾のような・・・。
小貫入と梅花皮、そして枇杷色・・・。

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posted by 丸山 陶李 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年03月09日

大井戸茶碗

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*高台箆起し(高台切放し)
 轆轤上で高台周りは削ってしまってから、
 箆によって轆轤上の土と切放しています。
*化粧泥は使っていません。
2010年10月 窯出し
2010年12月 再焼成(焼き戻し)
(口径:16cm 高:9.3cm)
posted by 丸山 陶李 at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年01月25日

あの轆轤目

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この井戸茶碗を、なんと見るかは、見る方にお任せしましょう。

今年の私の井戸茶碗の課題の一つが、「あの轆轤目」なのです。



posted by 丸山 陶李 at 04:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年01月12日

物原

陶房横の物原(陶器が捨てられた所)。

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昔から、物原を漁るのが好きだったので、今も、たまに自分の物原を漁ります(笑)。
陶片は、通常の作陶では気がつかなかったことを意外にも気づかせてくれることもあります。
陶片を片手に、虫眼鏡を片手に、ボーッと過ごす時間に至福を感じることがあります。

身近な人たちに、特に父によく言われました。
「お前は、小さい頃から、ボーッと考え事していることがあったな。」
「そういう時には、声をかけても、聞こえないんだよな。」

自分の個展の時にも、会場で、このトランス状態になることがあります(笑)。
ご来廊いただいている方に気がつかず、こういう状態になっている時に、
お手伝いしてくださった茶道のお友達から、「お客様いらしてるわよ」と、
声をかけられ、気づくことがあります。我に帰ります(笑)。

骨董や、陶磁器を拝見している時にも、なります・・・。
なぜなのか、わかりません。
ボーッとしている時間は、決して「逃げ」ではないのです(弁解)。

「ずっと、見ていたい。」
そう思うと、何事にもかまわれたくなく、囚われたくなく、そのモノを見続けていたいのです。
モノや陶片と、言葉ではない対話を楽しんでいるのです。
その楽しみは、アグレッシブで、何かを教えてくれて、何かを掴ませてくれるのです。

posted by 丸山 陶李 at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年01月09日

井戸茶碗「俄羅奢」僥倖

手元を離れた器や茶碗たち。
どのように育っているのか、作り手として一番の楽しみでもあります。

たまに、お客様がお使いになっている様子の写真を送って下さったり、
絵手紙に作品の絵を添えて送ってくださったり、
手元を離れた後の育ち具合を拝見する機会は少ないだけに、
感慨もひとしおです。

昨年の秋、丸善芸術祭で「私の井戸茶碗」として初めて展示した「俄羅奢」。
目指す「大井戸茶碗」への道程での一つのエポックである茶碗ですが、
私のクリスチャンネームの「細川ガラシャ」を銘として発表させていただいた茶碗ですので
私なりに、この茶碗への思いは深いものがありました。
「俄羅奢」一碗だけが「私の井戸茶碗」として現在、発表している茶碗です。

何年も、私の井戸茶碗を待っていてくださった方の手元に嫁いで行きました。

箱書きを終えてお送りする時、梱包前には、何枚も「俄羅奢」の写真を撮影し、
その姿、手取り、口当たりなどを心に刻んだものでした。

「俄羅奢」を所蔵していただいている方から、何年か前に、頂戴したメールには、
こう記されておりました。(ご本人の了承を得て紹介させて戴きました。-太字部分-)

陶李さんはじめまして。
いつもHPならびにブログを楽しく拝見しております。
仕事や毎日の生活で行き詰まったとき陶李さんのエッセイで救われたことが数多くありました。

実は今月銀座で行われる予定でした個展を楽しみに待っておりました。
といいますのも私も陶芸をやっているのですが、殊に井戸茶碗に魅せられておりまして、
陶李さんの『右近』そして『ガラシャ』を楽しみに待っていたのです。

私が茶碗に惹かれる理由は作り手の精神性と言うか霊性が深く宿る器であるからです。
いつか自分で作る時の(まだまだ技量的に無理ですが)お手本として、そして我が家の家宝(ちょっと大げさですが)として今回の個展で購入させていただきたいと考えておりました。

実際、一介の平凡なサラリーマンの私の少ない懐で購入させていただける額のものか、いろいろ思案して、逡巡しているうちに月日は流れ、今日思い切ってメールさせていただいた次第です。

陶李さんが長い間研鑽を積まれた茶碗ですのでもう大部分嫁ぎ先は決まっていると思いますが、もし余裕がございましたらそのうち一つを私にお譲りいただけないでしょうか?

誠に勝手なお願いではありますがご検討いただければ幸いです。

私は知的障害者の福祉施設で窯業を担当しておりまして、『陶セラピー』にも大いに興味を持っています。仕事をしていくうえでも陶李さんには大変お世話になっています。


そして、時は流れ二年前。私はアルバイトのWEB制作で右手を痛め、リハピリ生活を余儀なくされました。轆轤も挽けない、菊練りもできない状態に絶望し、陶の道を捨てざるを得ないかと重苦しい毎日を過ごしておりました。

その方から、次のようなメールが届きました。

私は井戸茶碗に魅せられ、自分のとっておきの一碗を欲しいと思っていますが、それ
は井戸茶碗だったら誰が作ったのでも良いのではなく、陶李さんの井戸茶碗が欲しいのです。

今、もしかしたら陶李さんが苦しみの中にあるとしても、何の力を持ち得ない私です。

ですが、陶李さんの存在が生きる勇気であったり、喜びであったり、希望を与えられ
ている人間がいることを忘れないでください。


このような経緯の中で、昨年「俄羅奢」を初展示させていただいたのでした。
今は、右手も少し回復し、轆轤も挽けるようになり、「私の大井戸茶碗」を目指して、
自分を鼓舞させながら、作陶できるようになりました。この道で生きていけよ、との恵みをいただいているのだと感じています。

新しい年、2011年が明けて、
「俄羅奢」の思いがけぬ姿を拝見する恵みをいただきました。
(俄羅奢=Gratia=聖寵、恩寵、恵み。という意味です。)

「俄羅奢」を所蔵されている方のブログ「我が師は半泥子」の中で
昨年の大晦日の「俄羅奢」の姿がこう紹介されていたのです。

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私にとって今年の一番の出来事はやはり、丸山陶李さんの井戸茶碗『俄羅奢』と出会えたことです。
これはまさに僥倖と言うべき出会いでした。

今年1年の帰し方を、つばらつばらと振り返りつつ、俄羅奢でお茶を一服いただきました。

大晦日、家族が寝た後、俄羅奢を共箱から丁寧に取り出し、全くの自己流でお茶を点ててみました。
ブログに載せようと思って写真を何点か撮ったのですが、写真に映った俄羅奢の立ち姿の神々しさに思わず息を呑み込んでしまいました。
物に魂が宿るって本当なんだなとしみじみと感じました


そして『俄羅奢と出会えて良かった』心からそう思いました。


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「私の井戸茶碗」への思いが、「俄羅奢」の中に魂を宿らせたのでしょうか。
物に魂が宿る・・・
私にとっても「俄羅奢」は、神との共同制作で生まれた茶碗であり「僥倖なる」茶碗であります。

何年も待っていただいて、ようやくお届けした「俄羅奢」でした。
まだ私の井戸茶碗を待っていてくださる方がいらっしゃいます。ありがたいことです。
厳選してお届けできるように、さらに精進を続けてまいりたいと、年頭にあたり思います。
待っていてくださった方にも、まだ待っている方にも、心から感謝です。
なぜなら、私に生きる力をくださっているからです。


posted by 丸山 陶李 at 18:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年01月08日

私のご飯茶碗

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器屋さんから「飯碗」を置きたいので作ってくれないか?と、電話を受けた時、
「ご飯茶碗は作っていなくて。ハネた茶碗を飯碗に使っているけれど。」
と、申し上げたら、
「ハネた茶碗でいいから、卸してくれない?」
と、仰る。

親しい友人も、「ハネた茶碗や、ハネた器でいいから安く譲って」、と
気安さからか、本気で言ってくる(笑)。

「安かろう、悪かろう」「高かろう、良かろう」という図式とは合わないものが、
作陶の中にはあるということが、なかなか理解していただけないらしい(笑)。

ちょっと欠点があっても(ハネた理由として)、安ければ欲しい、という図式だろうか?

まず、何故この茶碗をハネたのか?ここが私には大切なんですが・・・。

ハネる=作品として世にださない。
欠点があるからではなく、「私自身の目指すところは、まだ先であり、これではない」
と、壊して物原に捨てるものもあれば、家の中だけで使って世にださないでおく、というのが私のハネる理由なのです。

「安くして売ってしまおう」ということは、「安く売れば売れる」構図になるので、自分の精進のためにもできないのです。売り物にならないからハネるのではない、ということが、なかなか理解してもらえないようです(苦笑)。

食卓に並ぶ器は、そういう世にださないでおいた器たちで満席状態です(笑)。

三年前に窯焚きで初めて梅花皮を得た記念すべき茶碗たちの中から、
一碗を「私のご飯茶碗」におろしました。半年ほど前でした。

「ご飯茶碗」は毎日使うものなので、良く育ってくれます。
ハネた茶碗であっても、育ってきたこの一碗は、私にとって愛すべき茶碗になっています。

初公開?「私の愛用しているご飯茶碗」です(笑)。

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posted by 丸山 陶李 at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗