2011年01月02日

2011年 私の一文字

2010年の私のTwitterでのつぶやきから【2010年の私を一文字で表すと「土」】でした。
土についてのつぶやきが多かったのでしょう。

2011年の幕開けと共に、今年の一文字として、やはり「土」を書初め。
パソコンで書いていただいた文字で、私の直筆ではありません(笑)。

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posted by 丸山 陶李 at 17:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月29日

Pie Jesu

Pie Jesu, Domine Dona eis requiem.

慈悲深き主イエスよ 彼らに安息を与え給え

Dona eis requiem Sempiternam requiem.

彼らに安息を 永遠の安息を与え給え

Gabriel Fauré(1845-1924)
『レクイエム(Requiem) ニ短調 作品48 第4曲 Pie Jesu』



今年は喪に服しております。
お世話になりました皆様、応援してくださった皆様、
ありがとうございます。
良いお年をお迎えくださいますように。

posted by 丸山 陶李 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月26日

涙の降誕節

クリスマス・イヴは娘の誕生日でもあった。
祝ってくれる人、お祝いの言葉を掛けてくれる人、共に喜んでくれる人。
人の中で生きて、生かされている私たち。

貧しい馬小屋で、権威をかざして王として君臨し支配するためではなく、貧しい人々の救いのために生まれたイエス様。人間としてお生まれになった神の独り子イエス様の誕生、十字架と復活、この三つは切り離しては考えられない。

誕生があり、十字架があり、復活があるのだ。
幼いイエス様が今日も、そして毎瞬、私の中にも生まれ、育てていけますように、と十字架を見つめつつ日々を送らせていただいている。

世界中の人々が、宗教を超えて救い主イエス・キリストの誕生を祝う。
この日本でも。

しかし、どうだろう。
「与えるよりも受ける方が幸いである」
プレゼントを差し上げるよりも、どんなに苦しい思いをしていても、素直にプレゼントを「ありがとう」と受け取れる人こそ幸いなのである。
そして、イエス様は、与える側ではなく受ける側の人の中にこそいらっしゃるのだ。

マザー・テレサはノーベル平和賞を受賞した時に、こう言っている。
「私は貧しい人々の代わりに、この賞をいただいているのです。」と。

娘の誕生日とクリスマスのお祝いに、以前、約束していたピザを注文した。
学生時代に通った代々木の予備校の近くにあった小さなピザ屋さん、ここのピザは格別のおいしさで、昔は、二切れ180円のミックス・ピザと、ミルクを、よく食べにいったものだった。
そのピザ屋さんが、現在は吉祥寺に移転し、全国からの注文に応じてくれていたからだ。
そのおいしさを娘にも味わってもらいたい、小さな思いからだ。
こどもたちの心配をしない親はいないだろうが、私が世を去った後の、こどもたちの高齢化した頃を思うと心配で眠れないこともある。先のことを考えても、と笑う人がいるかもしれないが、今の社会の制度が崩れ初めていることが、生きる未来に希望を抱くことさえ困難な状況を示している。

人に与えられるものがあるのなら、私は笑顔を与えたい。
そして、苦しむ人と出会うのなら、手をにぎり、抱きしめてあげたい。
そうありたい。と、クリスマスを迎えるにあたって毎日祈ってきた。
現実に多くの人と接すると、そう理想通りに接することができないのは、自愛心のなせる技、そして祈りが足りないからだろうと深く自省したクリスマスでもあった。
物品・金品の寄付や協力も、教会や、ボランティア活動でも限界がある。

クリスマスが終わったこの降誕節(降誕節は「主の公現」まで続くが)にブログに向かったのは、今日、「クリスマスは終わった。正月準備だ。」という日本社会の中で、谷口神父様のブログを朝一番に読んだせいもある。

「日本の貧困について」

正直に申し上げると、私はカトリック教会の中にあるサロン的雰囲気が好きになれない。
外国人と共に与るミサに行くことが多いのは、その違和感がないからでもある。
日本でミサに与る外国人は、フィリッピンやブラジルからの労働者が多い。
言葉を超えて、一人一人の貧しさ・小ささを自分をも含めて感じられるし、また人々が国籍や肌の色、言語、環境にかかわらずキリストの体の一部であり、連帯しているものであることを体で感じられるからだ。私自身も小さな人々の一人でしかない。

その教会内の人々のサロン的雰囲気の中での違和感を、「日本の貧困について」で谷口神父様が見事に洞察してくださっている。共感を覚えた。

同時に、朝日新聞のインターネット版で、今日から「孤族の国の私たち」という連載がはじまった。

「日本の貧困について」で洞察されている内容と、今の日本の現状とこれからの展望をあわせて記事にしている「孤族の国の私たち」は、ぼんやりとした不安感を抱えている今の日本社会を浮き彫りにしている。

私の周りには、クリスマスおめでとうの言葉もプレゼントもなく、将来への不安をどうすることもできない人、また孤独感から精神を病んで行く人、誰からも声をかけられることもなく、ひっそりと一人で食うや食わずの生活をしている人など、現実問題として存在している。
その人たちのことを考えると、ごはんが喉を通らないこともある。
そして通勤電車の中では、頻繁に人身事故による電車遅延を目の当たりにしてきた。
ここ数年、自殺者がこれだけ増加している日本、若者も高齢者も、そして中年世代も、未来に希望をいだくことなどできない状況をしいられている人が如何に多いことか。人事ではない。

クリスマスだからこそ、考えてしまう。そして、胸を圧迫されるような哀しみを抱かされる。

自分のことはさておいても、胸痛むことの何と多いことか。
人を使い捨て、若者に働く気力を失わせる、勝ち組・負け組と短絡的に人を分別してしまう風潮。それらをおかしいと思わない人権感覚。

55歳、軽自動車での最期 連載「孤族の国」朝日新聞ウェブ版のこの記事を読み終える頃には、毎日のように起きている電車の人身事故で自ら生命を絶った人々の涙の叫びと苦しみ痛みが、十字架上のイエスと重なり、涙が止まらなくなっていた。

家族に頼れる時代の終わり 「孤族の国」
 高齢社会化が一段と進む2020年。単身化がより深く広がる2030年。日本社会がかつて経験したことのない20年が目の前に続いている。残された時間は、決して長くはない。(真鍋弘樹)

昨年のクリスマス・イヴ。六本木のフランシスカン・チャペルセンターから四谷のイグナチオ教会へ移動しようとした時、地下鉄が人身事故で止まっていた。仕方なくタクシーに乗るという贅沢をしてしまったが、そのタクシーの運転手さんの話し「親友が飛び込み自殺したんだ、経済的な理由だと思います。」と言う。クリスマスを祝う時に、希望もなく絶望と孤独の中で死を選択した人々がもいることを忘れてはならない、と思った。

「また人身事故?」という前に、その人々の苦しみと痛みに、祈りをもって共感し、今の日本社会において、抹殺されている人々の心の叫びに耳を傾け、他人ごとではない現実を直視していきたいと思っている。

posted by 丸山 陶李 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月24日

For Unto Us a Child is Born!!

イグナチオ教会の馬小屋
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For Unto Us a Child is Born - Handel Messiah -


posted by 丸山 陶李 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月23日

Merry Christmas!

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十年以上前でしょうか。
半磁土で制作した天使です。
私には珍しい手捻りの作品です。
天使の左の羽は少しだけ先が欠けてしまいました。

一人一人には「守護の天使」がついているそうです。
羽が欠けても、私たちと神様をつなぎ
行ったり来たり大忙しでしょう。

いつもいつも私たちと共にいてくださる。
インマヌエル!

主のご降誕のお喜びを申し上げます。

闇に住む民は光を見た。
ダビデの町に生まれた幼子。
すべての人を救う恵みを、
すべての民におよぶ喜び。
神に栄光。
人に平和。
(典礼聖歌305番)

毎日が待降節。毎日、毎瞬が降誕節。
そして、本当に毎日がクリスマスである生き方をしたいものです。

Best Wishes for A Holy Christmas.
皆様も恵みに満ちた良いクリスマスをお迎えくださいますように。
posted by 丸山 陶李 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月11日

見テ知リソ知リテナ見ソ

以前、エッセイ集のタイトルにもした柳宗悦の言葉「見テ知リソ知リテナ見ソ」。「物は、見てから知れ、知ってから見るな。」「見て初めて知るのだ、知ってから見るものではない」と知識偏重を戒める言葉と私は理解しています。

原土を合わせて、成形用の土を作り、長石や灰を選んでは調合を繰り返し、
轆轤でテストピースを挽いては、小さなテスト窯で試験を繰り返しています。

最近、私のかけがえのない友は…。
「虫メガネ」です。
老眼鏡をかけた上に、さらに虫メガネで、焼きあがった器胎の土味や、特に貫入を見ています。貫入は窯出し後に徐々に増えていくので、どのくらい小貫入が入るか楽しみなのです。窯から出されて育ち続ける、そんな風に感じています。
時折、貫入の境目に、土から引き出された、あるいは釉薬から引き出された色を見ると歓喜します。

やきものの面白さを実感します。

地球上にある物質が炎の中で色形を変え、やきものとして生まれ出てくる。
ただ「焼いた」ということよりも、
最近は専ら「炎の中で引き出されて、生まれてきた!」
ものに目がいっています。

梅花皮も、貫入も、窯変も、物質と物質の調合によりできる、こうやればこうなる。
それでは面白くもなんともないのです。

土味を生かし、原材料の持ち味を生かし、炎の力と窯の神のもとで、
感嘆と感動を味わえる、そんな焼きの面白さに目を輝かせています。


今日も数種類の土と釉薬のテストをしました。
そして、その中から数点、再度、テスト窯に入れ「焼き戻し」をしました。
焼き戻しとは、再加熱なのですが、私の窯焚きは中性炎から還元焼成、そして酸化へと戻すパターンの焼成が多いのですが、還元焼成では、土にも釉薬にも、焼き締まりも色も形も酸化焼成とは違うやきものとなりますが、還元焼成の影響のない酸化焼成の炎の中で、再度、加熱し、土の持っている色を酸素たっぷりの状態の色へと戻してやるのです。

窯変のでた物を焼き戻ししても、窯変は変わりませんし、
梅花皮のでたものは、梅花皮のでたままです。

志野を焼く時、還元状態で最高温度域まで持って行き、冷却時ある温度帯に下がった頃合いに、酸化焼成でひっぱり、キープすると、美しい緋色がでます。
辰砂なども、この温度域でひっぱってやると美しい赤色になることがありました。

還元がかかる温度帯では土も釉薬も酸欠状態ですが、この温度域の還元の影響を受けない温度帯で、酸化焼成し、土の色を焼き戻して出してあげるのが焼き戻しです。

かつて札幌の陶房を訪ねてくださった方は、故芳村俊一先生と全国のあらゆる土を焼いてみるという興味深い実験をしていらっしゃいました。吉村先生の著書も頂戴しました。その吉村先生が、よく「焼き戻し」により土本来の持っている色を引き出してみる、という実験をなさっていたのです。

小さなテスト窯のおかげで、これは!と思うテストピースや小作品を焼き戻して、数時間で結果を見ることができるのは有り難いことです。

やってみてわかる。わかった気になっていて分かっていないことがある。
見テ知リソ知リテナ見ソの学びの日々です。


今日も、目を見張るような面白い色が土と釉薬から引き出されていました。
数点、画像を紹介します。

こちらは「焼き戻し」前のテストピースたちです。
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焼き戻し後。
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大井戸茶碗も焼き戻ししてみました。
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posted by 丸山 陶李 at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年12月05日

フル稼働

12月に入り、街中の空気が何か気忙しい。
轆轤を立って挽けるように設置しなおし、土や釉薬のテストを繰り返し、
幾種類かの長石や原土を取り寄せ、調合し、
今までのデータとテストピースを基に、
原点から私の井戸茶碗の原材料の見直しをして毎日が過ぎています。


窯小屋から出て見上げる夜明け。大地はピンク色に染まり、幻想的なグラデーションを見せてくれる。
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窯小屋と陶房を往復する夜中
澄み切った空気の中で夜空の星が冴え冴えと輝いている。太古から星を見上げて人々は宇宙の神秘を思い、時が経つのもおかまいなく何度も何度も、あの星たちを見上げて「人は何ものなのか?」と真理の探索もしただろう。
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長石のテストを繰り返し、
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土のテストを繰り返し、
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古陶磁の陶片を矯めつ眇めつ、時を忘れ資料をあさり、
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残り土やクズ土を乾燥し、土練機にかけ再生し、
(全部で500kgありました!)
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陶芸講座受講生の作品を焼成し、本日、手渡して釉薬の講義を終え、
昨日は、本窯の生焼け作品をテスト窯で再焼成し、その後

今日は、テスト窯で「焼き戻し」による土の色のテスト焼成を行った。
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(左の井戸茶碗が「焼き戻し」したもの。右は焼き戻しをしていないものです。)

私も窯もフル稼働の師走です。
風邪が流行っています。
皆様も、どうぞご自愛くださいますように。







posted by 丸山 陶李 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年11月08日

たとえば明日

窯出しを終え今日、ご注文の徳利や香炉は発送させていただきました。
庭の「お茶の花」を黒高麗徳利に活けて、徳利にも花にも葉にも水をたっぷりと吹きかけてあげました。

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からからの土が、炎の洗礼を受けた土が、私の手で練られ調合された土が、
私の陶芸家としての勘一つで調合した黒高麗の釉薬と相まって、
水を喜び、再び水の洗礼を受けて、しっとりと輝いています。

今日は私の誕生日でした。
朝メールチェックをしたら、たくさんのお祝いのメールが入っていて驚きました。
(私の個人情報の一部がこんなに漏れているとは!・笑)
郵便ポストには、陶李会の佐藤会長から、誕生日祝いに音楽会のチケットが届いていました。
まったく久しぶりのコンサートです。
札幌にいた頃は、演奏会の会場が身近で、音楽仲間と楽しむ機会が多かったのですが、
取手に来てからは、足が遠のいていました。
心身ともに余裕もなかったのでしょう。

誕生日は、生まれてこのかた出会った多くの皆さんに感謝する日だと思っています。
一人では生きていけない、それが人間なのだと思います。
愛されなければ愛することすらできない、それが人間なのだと思います。
これしきの私ではありますが、この不完全で欠点も多い私如き人間を、
慈しみ、愛し、導いてくださり、励ましてくださる多くの皆さん。そして神に感謝を捧げたいと思います。

誕生日にひとつ決心をいたしました。
いよいよ「井戸茶碗」の序章として、「井戸ぐい呑」をオンラインショップ「Gallery 陶李」で紹介させていただくことを決めたのです。
井戸茶碗「俄羅奢」は、すでに世にでました。嫁いでいきました。
めざす大井戸茶碗「右近」は、これから生まれてくる茶碗です。

たとえば明日。
私が召されても、
「右近」を生み出せなかったことを悔みはしないだろうと思ったのです。
土から始めて成形、釉薬、焼成と、私だけの井戸茶碗を目指して歩んでこられたこと自体がしあわせではないでしょうか。
目指すところがあって陶芸家として歩んでこられたこと自体が、しあわせではないでしょうか。やらせて頂けるギリギリの体力と精神力と知恵と閃き、を与えられたことに感謝しないでいられましょうか。

そこで、今日は「井戸ぐい呑」五点のための桐箱を注文しました。
いつもの私の箱と紐、そして覆紙です。
販売する、ということは人の手に渡り世に出るということです。
私の陶芸家としての真価を問うことでもあります。
その決心を、誕生日の今日いたしました。

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先のブログで紹介しました「箆切り・切放し高台」の「井戸ぐい呑」や「井戸茶碗」も、
作品として世に出す予定でおります。

井戸茶碗を基本においた花入れや香炉なども構想の中にあります。

「正念場」を迎えている自分自身が見えています。

しかし、たとえば明日、息をしていなくとも…
ここまで好きで好きでたまらない井戸茶碗の追究ができたことに、悔いはないのです。
大井戸茶碗「右近」が生まれてこなかったとしても、
それはそれで神の御旨であると「はい」と受け入れることができます。
なぜなら、ここまで好きなことを続けてこられたことを思うと、
苦労や痛みよりも感謝が大きいからです。

神の御旨ならば、右近も生まれてくるでしょう。
と、窯出しした作品を手にとりながら、穏やかで静かな心を戴きました。
何よりの誕生日プレゼントを頂戴いたしました。
皆様に「ありがとうございます」と申し上げます。





posted by 丸山 陶李 at 20:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2010年06月17日

「感激」が創造の基本

唐津の中里太郎右衛門氏(大正12年生まれ)の「唐津焼」に関する資料を拝読しました。

「叩き」の技法が、中国を源として一つは南のタイを中心に展開し、北の方へは朝鮮を経て唐津へ来た、現在もタイでも韓国でも、「叩き」の技法は残っている。

「叩き」の技法は、朝鮮半島から伝わったもので、新羅土器の古い時代のものは「叩き」です。厳密に言うと新羅土器とは多少相違点がありますが、金海土器と称されているものです。中国から伝わった技法の金海土器は、二、三世紀ぐらいまでの間に作られたもので、百済、新羅、任那の土器となり、それが朝鮮半島からさらに日本に伝わり、焼き締まった陶質土器、すなわち須恵器が誕生してくるわけです。そしてこの須恵器にも、叩きのものとそうでない二通りの系統があったのです。

もう少し古い年代に遡ってみますと、中国で最も古いやきものに通称アンダーソン土器(彩文土器)といわれているものがあります。叩き手の技法の源泉はここに見出されます。…この叩き技法で陶器を作った連中は、タイの学者の説によれば、タイ系文化であるとされています。…タイにチェンマイというところがありますが、雲南に動いた連中が南下したんでしょうね。紀元前三〜四世紀の頃、タイの内陸で印文陶器ができております。タイでアンダーソンより古い時代の土器が出土しています。おそらく世界最古の土器の一つではないかといわれています。…タイには中国よりもっと古い、前四、五千年以前から土器があったわけですね。
(以上、「陶工陶談」より)

「叩き」の技法で、唐津では、青海波紋様が器の内側に見られることが多いが、これは松の木を内側に当てて叩きを入れているからです。松の木の年輪が波の紋様になっているわけです。紋様のある理由を調べてみるのも発見があり、面白いものですね。

同様に、「縄文土器」の名付けの由来となっている「縄目」にも、装飾としてだけではなく、土を締めるという役割があることは、以前にブログにも書きました。実に韓国の「三島(印花文等)」が器胎を紋様で埋め尽くすことで、土を締める効果をももたらしていることは陶工が自ら体験して気づいていたことでしょう、と私も三島手の作品を制作してきて思い当たったことでした。

さて、今日、中里太郎右衛門氏の文章から、共感した箇所がありましたので、引用させていただきます。(以下)。

「感激が創造の根本」
なぜ唐津はいいものが焼けたかというと、朝鮮から渡ってきた陶工が、感激して作っているからです。何か新しいものをやる、日本ではまだ釉を掛けたやきものがなかった。いわば処女地に対する意欲がものすごくあった。それに、本国にいるときは賤民としてしか扱われなかったが、こっちへきたら待遇がいい。感激したんですよ。なんでもそうじゃないですか、感激がなければいいものは作れない。 


「感動こそ、私の作陶の原点」「自分が感動してなければ人に感動が伝わるはずがない。と、いつも言い続けてきた私にとって、理屈抜きで、大きく頷ける言葉でした。


posted by 丸山 陶李 at 16:22| 夢は枯野を

2010年05月31日

A.カルペンチール神父様の個展に

私も2007年に個展を開催させていただいた「銀座・教文館 エインカレム」で、ベルギー・アントワープ生まれの今年92歳になられるアルベルト・カルペンチール神父様の個展が開催されています。

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午後2時からは、神父様が在廊されるとのことで、今日の午後伺いました。三年ぶりにお目にかかりました。ベレー帽姿の神父様と作品や陶芸についてお話し、帰りには銀座の画廊周りを楽しみ、二人で銀ブラをして(神父様曰く…「散歩」)楽しい時間と霊的にも神父様の作品や人柄からも、多くのものを得て帰ってきました。

カトリック教会のミサで使用されている【聖書と典礼】の表紙の多くはカルペンチール神父様の作品です。ミサの時に、表紙に神父様の作品が使われている日は、それだけで、ほんのり嬉しいと感じます。

ステンドグラスや、油彩、版画、磁器の絵付など多彩な作品。ひとつひとつ丁寧に拝見させて頂きました。

【聖書と典礼】の表紙に使用された『三位一体』の作品を手に、神父様と写真を撮影して頂きました。

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iphoneで写真やビデオを撮影。「変わったカメラですね」と面白がっている神父様です。



個展会場を出て、銀座のギャラリー巡りをし、神父様と二人で有楽町まで歩き、東京駅でお別れして帰ってきました。

カルペンチール神父様の個展は、銀座教文館エインカレム(アップルの横)で、6月6日{日)まで開催中です♪お時間あれば是非どうぞ!
posted by 丸山 陶李 at 11:29| 夢は枯野を