2014年03月11日

黒澤明監督のメッセージ

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Published on Sep 20, 2013
黒澤監督の直筆ノート(1985〜86年)


人間は間違いばかり起しているのに、
これだけは絶対間違いは起さないなんて
どうして云えるだろう。
それも、もし間違ったらおしまいだと云うのに、
どうしてそんな事が云えるんだろう。

高い木に登って、自分のまたがってる木の枝を
一生懸命切っている阿呆に似ているね。

猿は火を使わない。
火は自分達の手に負えない事を知ってるからだ。
ところが、人間は核を使い出した。
それが、自分達の手に負えないとは考えないらしい。
火山の爆発が手に負えないのわかっているのに
原子力発電所の爆発ならなんとかなると思ってるのは
どうかと思うね。

「原発は安全だ」
「危険なのは操作のミスで原発そのものに危険はない」
「絶対ミスは犯さないから問題はない」
ってぬかした奴等許せない。

原子力発電が安全だなんて云っていた奴等は、
今、どうしてやがるんだろう。
そいつ等の顔が見たいね、全く!

★没後15年、黒澤明監督のメッセージ
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=35321&y_m=13-09 (YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=1BtNWZ9Q-20&feature=player_detailpage&list=PLC236676654E280B9
(TV朝日 報道ステーション)

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2014年01月01日

初春のお慶びを申し上げます。

初春のお慶びを申し上げます。
皆様にとって、恵み豊かな一年となりますように。

「丹頂鶴と松」-原画:狩野元信-
父から年末に掛け軸をいくつか渡されました。
こちらは45年ほど前に、日本橋高島屋で購入したものだそうです。
名画を織物にし、掛け軸にしつらえたもの。
丹頂鶴も松もおめでたい新年に良いかしら、と長い間眠っていた掛け軸を掛けてみました。

新年から、原土のテストを試みる予定です。
今年も土に始まり・・・土に終わるのかしら、頭の中には様々な構想が渦巻き、
ひとつひとつ、こつこつと積み重ねていきたいと願っています。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

陶李

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2013年12月23日

Noël

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2013年12月02日

愛犬の旅立ち

お留守番つづきだった。
愛犬フォルクスが、さきほど天国へ旅立っていきました。

久しぶりの休養日。愛犬と買い物にでかけ、帰宅してから様態が急変し、
12月1日(日)夜23時55分、息をひきとりました。

私の帰国と、その後の取材による留守番。
仕事が一段落するのを待っていたかのように。
明日は久しぶりにシャンプーしてあげなければ。。。と、家族と話していたのに。

9歳でした。ありがとう。9年間の思い出。

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2013年08月19日

8月15日


8月15日

目覚めと共に、母の命日であることに祭壇に向かう。
線香を立て、手を合わせる。
夕方、聖母の被昇天のミサにあずかろうと心の準備をしている。

日本にとって今日は終戦(敗戦)記念日。
兄弟を戦争で失った父、父の兄は戦地で恐ろしい体験をした。
連れ合いの父も、戦地で恐ろしい体験をした。
父の世代が召される時、戦争の実体験を語れる者は存在しなくなる。

小学生のころ、私は父に度々尋ねた。
「なんで戦争をしたの?」
「また戦争は起きるの?」
「戦争のない国はないの?」

こどもの私は、ただ人が人を殺したり、
切腹とか銃殺とか・・・血を見るのが恐ろしくてしかたがなかった。
「見たくない」「恐ろしい」というこども心が、父への質問となったのだろう。

いかなる理由があっても、戦争は人殺しなのだからしてはいけない。
このシンプルな理が通用しない。

歴史書をすこしずつだが、私の中でいまだくすぶっている「なぜ?」を紐解くために読み進めている。

そこに見えてくるものは、
宗教や、国や、利権や、テリトリーや、思想や主義主張の違いが、戦争となっていく発端にあること。違っていることに対して、自分が正しい(利したい)という我欲を、「国のため、国民のため、ドグマのため、信仰のため、思想のため等々」にすりかえて人殺しをしてきた人間の歴史。

何かを守るために、名もなき小さな人々の命を生贄のごとく要求している。
人の命を要求する、ということが何を示しているのか。

それは何かを守るという名目で、何かではない命は抹殺されてもかまわないという湧き出る欲ではないのか。

あなたを守るために、私は命を捧げるよ。これが8月14日にアウシュビッツ収容所で亡くなったコルベ神父様の生き方だった。身代わりの愛。

まったく逆な考えをしている政治家が恐れもなく発言する内容に背筋が凍る。
平和ボケしているのは、私たちではなく「あなた」ですよ。と申し上げたい。
国を守るために自衛隊を国防軍とするなら、まずあなたの息子を国防軍にどうぞ、と申し上げたい。あなたの息子も自衛隊の息子も同じ「命」であることを認識できないほどに平和ボケしているのだろうか。

我が子が人殺しに加担しなければならないような時代がくることを予感したなら私は徹底的に戦う。

父がかつて召集令状を受けて出征する際に、戦争中で満足に食事もとれない中、祖母は父を連れて祖母の故郷に出向き、父が出征前に腹一杯食べられるようにと田舎の農家から調達したもち米で「おはぎ」を作ってくれたそうだ。

我が子を戦地に送り出さねばならなかった祖母の心やいかに。。。と思う。

父はカトリックの洗礼のめぐみをいただいた。
しかし、今日は靖国神社へ、単純に戦争で犠牲になった人々を慰霊するために参拝にでかけている。猛暑の中。

戦争にいかざるを得ない時代に生きた人も、
戦争を知らない人も、誰一人として命を国に捧げる戦争など望んでいなかったことは真実だろう。人を戦争に向かわしめたものこそ、私たちがこの日、胸に刻みつけなければならないのだ、と思う。

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憲法改正・護憲の問題も、靖国の問題も、自分のものとして判断し自分の生き方として賛成するか反対するか主体性が大切だ。誰がこういっていたから賛成する(反対する)といったものではなく、あくまでも判断は自分で学びながらするものでありたい。なぜならそれが自分の歴史になるのだから。


posted by 丸山 陶李 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2013年04月01日

復活祭

主のご復活のお慶びを心より申し上げます。

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「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)

主イエスの復活を記念し、
この神秘(!!)にあずかるわたしたちを、
あなたの霊によって新たにしてください。

神のはからいは限りなく、生涯わたし(たち)は、その中に生きる。

庭に目をやれば、「スイセン」や「ダビデの星」が光の中、咲いていました。(上記画像)。

墓参した御殿場の山は東京よりも寒く、桜並木の桜も四分咲きでした。(下記画像)。

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墓前で祈った時、雲の中に私は包まれていました。
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墓前にも、白い蘭とブルーのスィートピーを捧げてきました。
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そして、今年の復活の主日だった昨晩、
「ああ!すべて神のはからいだったのか!」と、気づきを与えられたイースターでした。

十字架の死を過ぎ越して、復活なさった主。わたしたちに示してくださった十字架の向こうにある
神のはからい。その深さ。驚嘆をもって今年の復活祭を迎えました。


posted by 丸山 陶李 at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2013年01月02日

2013年

明けまして おめでとうございます。
2013年、今年も宜しくお願い申し上げます。

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posted by 丸山 陶李 at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月10日

金海粉青陶磁器祭り2012

「2012金海粉青陶磁器祭り」
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「金海粉青陶磁器祭り」が「金海粉青陶磁館」周辺で開催されており、
昨年は五月に金海周辺の博物館をいくつか訪問したのだが、
今年は、このお祭りだけに立ち寄ってみた。


「金海粉青陶磁館」
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なぜか、金海を訪れる時は、いつも大雨にたたられる。
今年も大雨。

「金海粉青陶磁館」では、今年の粉青沙器公募展の入賞作品が展示されていた。

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「金海周辺で発掘された粉青沙器の陶片」(金海粉青陶磁館で)
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「金海粉青陶磁館」併設の登り窯310.jpg

昔の粉青沙器作りの模型。完璧に分業体制だったことが良くわかる。
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こちらは、窯職人たちの模型。
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作家ブースがならぶアーケード
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大雨なのに、たくさんの人出でした。

粉青沙器の素直で素朴な美しさ、いったんは途絶えた幻の粉青沙器が、こうして現代に受け継がれていることはうれしい。

日本の文献に登場する最初の粉青沙器は「三島」と呼ばれた「粉引」「三島手」だが、
「粉引」は「白磁」に憧れて作り出された説が、今日、浸透しているが、これと合わせて、鉄分が多くてどこにでもあるような赤土や黒土にカオリンで化粧することにより、「磁器と同じような耐火度」を持たせようと考えだされたことも加味してみるようになりました。


また、粉青沙器の七つの技法は、今や世界各国で取り入れられているが、
「三島」は、日本の縄文土器から派生したものだという私見がますます強くなりました。

そして粉青沙器の釉薬のブルーや緑の発色の美しさ、すこし融けきれないような膜が張ったように見える場合がありますが(これは井戸茶碗の釉薬にも見かけることがあります)、釉薬の原材料が耐火度の高いものであったことも私の頭の中で整理されてきました。

先日、「井戸茶碗は灰釉ですか?」とお問い合わせがあったのですが、
窯の焼成に合わせて、釉薬に用いる「石」に混合する灰のパーセンテージが高くなれば灰釉だともいえるし、灰のパーセンテージが少なくて融ける石を用いれば石釉となると思いました。

数日前、私の誕生日に、井戸茶碗用に寝かせておいた土で茶碗を挽きました。
9月には、ボソボソ土切れを起こしてしまうでしたが、可塑性がでてきて、とても挽きやすくなりました。
私の誕生日に記念に挽いておいた井戸茶碗の中から、乾燥中ですが一点画像を紹介させていただきます。

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posted by 丸山 陶李 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月06日

慶尚南道・泗川を訪ねて[4]

慶尚南道といえば「韓国陶瓷史の研究」
の中でも、粉青沙器や白磁等、「民窯」跡が多い地域で、昨年、訪問した頭洞里を含む、晋州エリアで、そして民窯であるがために、官窯と違い、記録が残されているものが少ないエリアでもある。

私は、地図で泗川市を探した時、まず晋州や山清に隣接していることと、頭洞里にも近いことが頭をよぎった。あの慶尚南道のカオリン鉱脈地帯だ。

10月25日の学術会議が終了し、ステージの上で講師の皆さんと挨拶を交わしている時、一人の紳士が私に質問してきた。通訳さんもステージにまだいたので即座に通訳してくれた。

その男性は、「井戸茶碗の作られた所はどの窯だと思いますか?」と尋ねてきた。

私は、頭洞里の窯跡には行っているが、他の窯跡には行ったことがない。そして、どの窯址にしろ、井戸茶碗だけが焼成されていたわけではないということは、窯址の出土品を見れば一目瞭然のことであって、どこか一つだけを井戸茶碗の焼かれた窯だという判断はできかねる、ということを通訳さんに伝えていただいた。(しかも私は研究者ではない・・・。)

頭洞里を訪ねた後、私の脳裏にいつもあるのは、慶尚南道のカオリン鉱脈が続いているということは、梅華皮のある陶片が採取されたからと言って、そこだけで井戸茶碗が焼かれたのだろうか?この特徴のある「土」が採掘できるところならば、どこか他の場所でも梅華皮のある井戸茶碗(に似た)陶片の出土される可能性は多いにあるだろう。と、いうことだった。

泗川を訪問するにあたり、この地域の古窯址があれば足を運んでみたい、と思っていたが、あいにく時間がとれなかった。

ところが、泗川在住の陶芸家の奥様から、一冊の本と手作りの布袋に入った井戸ぐい呑をプレゼントされたのだ。それは、26日の審査の日だった。帰国するまでは、時間もとれず、その本を開くことはなく、スーツケースに入れたままにしておいた。

茶碗公募展のカタログや、学術会議の資料など、他にも持ち帰ったカタログや本があり、軽めに荷造りしてでかけたスーツケースも、やはり今回も書籍でいっぱいになり、重たくなってしまった。

いただいた本の一冊。韓国古陶磁研究会の趙氏から頂戴した「酒器展」の図録。帰国後、ゆっくり拝見したが、逸品を収集していらして、素晴らしい李朝古陶磁にうっとり。

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続いて、泗川市在住陶芸家の金南珍氏の奥様から頂戴した「千年の魂 高麗茶碗」と金氏が発見した泗川の古窯跡近くの土と石で作った井戸ぐい呑。
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この本を繰り返し読ませていただき、前掲の「韓国陶瓷史の研究」や他の資料などと照合しながら、井戸茶碗は、はたしてどこで焼成されたのか?ということについて考えている。泗川と日本の対馬、そして九州と、当時日本に招聘された陶工たちは、日本にだけとどまっていたのではない、日本に来てからも、対馬を係留地として土を持ち帰るために何度も祖国の地に帰っている。その痕跡があることが確認できた。ロマンは広がる。私は大井戸茶碗に関しては、ある特定の人物が韓国の土を持ち帰り、日本で焼成したものかもしれない。。。と直感的に思っていることがあったので、氏の著書は、大変、参考になっている。

そして、韓国古陶磁の中でも、私が惹かれて小さなコレクションをしてきたものたちがあるが、それらの胎土と釉薬の特徴的なものが発生してきた歴史にも触れてあり、「やはり、私が好きなものの理由は、土とこの素朴な釉薬が連綿と連なってきていたのだ。」とわかり感慨深いものがあった。

メモ代わりに、それらの釉薬について記載しておくと、
「緑釉」「黒釉」「緑青磁」「黄瓷」「粉青磁釉」「伊羅保-チェ釉」「井戸釉」そして「白磁釉」とつながる。

金氏の著書から、金氏が用いている土の採掘現場の写真です。
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次に紹介する画像は、「宝城粉引」の茶碗。これは古陶磁コレクターの趙氏に、「一度でいいから宝城粉引をこの手にして見たい。」と申し上げたら、「明日、もってきます。見せてあげます。」と現物を持ってきてくださったのだ。粉引の火間に釉薬がかかっていないこと、そして実際に触れてみて、土を見なければ白磁と見紛うほどの焼きあがりと、育ち具合を堪能させていただきました。
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これは頭洞里の第2号窯(第1号窯より大きな登り窯)で趙氏が採取した枇杷色の土で焼成された梅華皮のある高台陶片。
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審査日の翌日は、金海で開催されていた「金海粉青沙器祭り」に大雨の中でしたが、立ち寄りました。
金海の一日は、また改めて・・・。
posted by 丸山 陶李 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月04日

慶尚南道・泗川を訪ねて[3]

10月26日(金)は、午前10時から、「慶南茶碗公募展」の審査予定でしたが、
ソウルから到着予定の審査員の一人、崔健先生(朝鮮官窯博物館館長)が飛行機のスケジュールで少し到着が遅れると朝、連絡が入り、審査は昼食をはさんで午後になりました。

※崔健先生の「朝鮮陶磁器の展開とその性格」(要約)はこちらで紹介されています。

中国から一人25日のセミナー講師が出席する予定したが「訪韓のビザがおりない」、ということで韓国から四名、日本から私の五名が提言しました。
以下、韓国語ですが、25日に開催された「韓日中・学術会議」のニュースです。

「2012 慶南茶碗公募展」と「韓日中・学術会議」のニュースhttp://www.news4000.com/news/articleView.html?idxno=12469

審査員は、崔健先生を議長として、釜山の韓国古陶磁研究会の趙氏、聞慶大学陶芸教授の愈氏、そして私の四名です。

審査にあたり、まず過去の公募展(2003年より7回目となる)と同じく「五点」を選ぶことと、
審査基準についてディスカッションがあり、
「とにかく良いものを選ぶ。良いところがありながらも、お互いの競争力をもって、さらに良い物を作れるように。」「本当は審査基準をなくさなければならない。」等の率直な意見がだされました。

また、公募展終了後の、今後への影響や、この公募展が今後の公募展バックアップ体制に関わることだとして、茶碗だけではなく茶器関連のものも検討してはどうか?の意見もでていました。

ある審査員からは、どういう窯を使用しているか?作家がどういうことを目指しているか?を見なければならない。という大切な意見もありました。

実際の審査では、各審査員が、各々五票の札を良い茶碗に投じる、という方法で、
札が投じられた茶碗は、会場の一角の審査員席に集められました。
札を投じるにあたって、「伝統的な茶碗」を3点、「現代的な茶碗」を2点、各審査員が選ぶという今年の方向が加味されました。

単純に計算すれば、審査員数4×5票=20点となりますが、
一点2票あるいは3票を得た茶碗もありました。
最終的に、その中から5点が入賞作品となりました。

入選した五点について(この茶碗のどこが良いか?評価点と講評)と、公募展全体の講評を、4名すべての審査員がボイスレコーダーに吹き込み、
後日、テープ起こしして活字化し、公表されることになりました。

結果残りました五点と入賞者、授賞式の様子がニュースになっています。
 ↓
「2012 慶南茶碗公募展」授賞式と受賞者(五名)の茶碗。
http://www.news4000.com/news/articleView.html?idxno=12714

審査終了後、「韓国と日本では茶碗を【見る目】が違う。勉強になりました。」と仰っていただきました。
私も、分不相応なお役かと思いましたし、また訪韓前の竹島問題もあり、一度はお断りしようと思ったのですが、行って良かった、と思っています。何よりも、大好きな茶碗をたくさん拝見して、自分の学びにもなりました。

そして、私自身の大きな収穫については・・・続きます・・・。
posted by 丸山 陶李 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を