2006年06月16日

奥高麗茶碗

先日、細川護煕展で拝見させていただいた
「奥高麗茶碗」が、心に残っていて、
ついに制作に挑戦してみました。

「奥高麗茶碗」というと、「高麗茶碗」と混同されがちですが
李朝の陶工が、唐津で作ったものです。

私が追究している「井戸茶碗」と非常に良く似たところを持っているのですが
形も、釉掛けも、もちろん土も違います。

ただ、非常に「井戸茶碗」に近いと思われるのは、その釉薬です。
茶碗の形状・土・釉掛け箇所・焼成雰囲気、を変えれば
井戸茶碗と奥高麗茶碗は、同じ釉薬で良いかもしれないな、と
作り手として考えました。

「井戸茶碗一考察」で当初、私は「井戸茶碗は李朝のサバル(雑器)」と
捉えて、考察していました。
その後、勉強する過程で、「井戸茶碗」はサバルではないんじゃないかな。
と、考えるようになりました。

ところが、「奥高麗茶碗」は、唐津焼(古唐津)ですが、
唐津焼は、当初から茶道具としてよりも、庶民の雑器として
その歴史を刻んできたことからも、この茶碗については、「サバル」
からの転用と考えた方が、しっくりしますが・・・。

この「奥高麗茶碗」は、非常に数が少なく、庶民用の雑器であれば、
もっとたくさん残っていても良いように思うのですが、
それほど多く残っていないのです。
古陶磁学者でもある、出川直樹氏によれば、
「渡来人たちが、仲間うちで自分達用に作ったものが奥高麗の本来だったのではと思える。」と言っています。

また、高麗茶碗の中に「熊川茶碗(こもがいちゃわん)」がありますが、
その碗形の形状は、奥高麗茶碗とよく似ているため、
奥高麗茶碗は、「高麗写しではないか?」という説もあるのですが、
「熊川茶碗」の約束でもある、見込みの「鏡」を写した物は、「奥高麗」にはないそうです。

他にも、いろいろな研究がありますが、割愛します。

「奥高麗茶碗」が。
茶陶として生まれたものであっても、サバルとして登場したものであっても、
奥高麗のもつ品格は、日本で作られたあらゆる茶碗の中でも
最も格の高いものとされ、「井戸茶碗」と並ぶものとされているのも
肯けるほど、良い佇まいを見せてくれます。

李朝の陶工の作であることは、高麗茶碗と同じですが、
「唐津」焼ということで、私が唐津の茶碗に挑戦するのは初となります。
今日挽いた初挑戦の「奥高麗茶碗」の一つです。

明日、削りをいれて高台を仕上げます。

okukorai0616.jpg

posted by 丸山 陶李 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 高麗・李朝
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