2013年11月06日

小井戸茶碗

koido.jpg
小(古)井戸茶碗/陶李作
この井戸茶碗は、韓国に嫁いでいきました。
今はどうしているか、たまに思いめぐらします。

根津美術館で74碗の「井戸茶碗」が展示されています。
根津美術館 特別展
【井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ】
2013年11月2日(土)〜12月15日(日)
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

根津美術館の井戸茶碗展から帰宅。
「井戸茶碗一考察」のページ更新をしていないので、今日もブログに記しておこうと思います。
開館と同時に伺って、昼食もとらずに4時間半、74碗の井戸茶碗と対峙してまいりました。

キリシタン大名・大友宗麟の書状が展示されており、
大友宗麟もめでたく高麗茶碗を手にした喜びを綴っているのですが、
学芸員さんに質問したところ、大友宗麟が手にして喜んだ高麗茶碗が井戸茶碗であったか、
どの高麗茶碗であったか、どの井戸茶碗であったか、については
謎だそうです。秘密ではなく、わからないままだそうです。

名だたる戦国武将がことごとく魅せられた「井戸茶碗」の魅力が堪能できることと思います。
根津美術館さんのご苦労で個人蔵のめったに拝見できない井戸茶碗が30点以上展示されておりました。
知られた井戸茶碗より美しい物や、見どころのあるものもあり、見逃せない貴重な展示だと思います。

大井戸茶碗「細川」も、畠山美術館の展示の際より見やすく、より美しく四方から拝見できます。美しかった。

私が個人的に好きな井戸茶碗の一つ、、
古井戸茶碗「老僧」は、12月2日の展示替えから拝見できるとのこと。
「老僧」を拝見したいので、もう一度伺うつもりです。

根津美術館の井戸茶碗展で図録を十部購入。お世話になった韓国の井戸茶碗作家の先生方に送るつもり。展示では「高台」は一切拝見できません。図録を買わないと「高台」は見ることができません。

これだけ(74碗)の井戸茶碗を見た人は、「こうでなくちゃ!」って言えなくなるはず。土も様々、釉薬も様々、カイラギさまざま、形も作行きも様々。ロクロ目も見込みも茶溜りも高台も様々。
緑釉系統の雰囲気を感じさせるものから、白磁に近い井戸茶碗まで、様々です。
展示は大井戸・小井戸・青井戸と分類されていますが、個人的には、「土」によって分類して展示したら、井戸茶碗の変遷もわかるような気がして・・・こんなマニアックな人はいませんね(笑)。

国宝 大井戸茶碗、喜左衛門の見込み。
脇取りの削りのせいで、落ち込んで鏡のようになっていた。見込みが少々生焼け気味に見えた。
370gの重量表示あり。

大井戸茶碗の中でも殿様の風格、細川。美しかった。重量表示460g。

有楽は450g。
すべてではないが、重さが記載されており参考になる。

喜左衛門の見込みを拝見して、焼成された時の窯内の置き場所を考えました。

もう一つ、火間があるでしょ、横一文字に。喜左衛門は、脇とりで薄くなってしまった器胎なので、柄杓掛けで釉薬を掛けたと思います。だから見込がちょっと汚い釉流れになっている。

喜左衛門が柄杓掛けで釉薬をかけたとしても、他の井戸茶碗もすべて柄杓掛けとは言えない。

釉薬掛けの際の指の使い方で、釉なだれができているものを見ると、わしづかみにして、ほとんどの井戸茶碗は釉薬を掛けているのがわかります。

根津美術館の井戸茶碗の傷についての説明で、「切れやすい土を用いている」と書かれていた。「切れやすい土」も、それなりの説明となっていると思うが、それ以上に考察できることは、「窯」の冷め方。冷風が器胎にあたった、窯の隙間から冷風がはいった。私には切れやすい土より、この方が納得がいく。切れがはいっている井戸茶碗の方向と切れ方がすべて同じであるのは、一考に値する。私も窯の温度が300℃くらいになった時、取り出した茶碗を水にジュッと浸す。これで古色付けをしてしまうのだが、そうすると、あのような縦方向の切れが生じやすく、窯の冷め具合と取り出すタイミングは、いつも大変気をつかう。
切れやすい土(土とはいいうが、カオリン質の半磁器、軟質白磁土)、であっても、窯が急冷にならなければ、あのような切れ方がすべてに現れることはないと考えている。

「井戸茶碗展」の図録に一碗一碗を拝見しながら、重量や気が付いた事をメモしてきたので、繰り返しメモを読みながら、各々の井戸茶碗の写真と重ね合わせているのですが、図録の解説、歴史的由来など茶の世界でいかに賞玩されて愛されてきたかということを感じられ、勉強になるのですが、

どうやら、現在の学者の意見であり著名な方々の論であり、現在の作り手や原材料の分析値ではなく、原材料の性質を知って試行錯誤している作り手たちの意見は全くとりあげていないですね。
驚いたことに、ある井戸茶碗の釉薬の解説に、
「枇杷釉をかけた後に、白釉を掛けて二重掛けしている。」とありました。
ありえない。。。正直なところ、図録の解説にはひっくり返りそうになるような「わかってないな。。。」ということが書かれていたりします。

これが現在の日本の高麗茶碗や井戸茶碗をとりまく学者たちの狭さを露呈しているように思うのですが。土と釉薬、原材料と窯と焼成について、もっと論考が欲しいところです。

また、井戸茶碗の焼成についても「甘い焼き」だからもろい、という図録の指摘。これはすべての井戸茶碗には当てはまらないのは、作り手だったらわかるはず。1200℃で生焼けの陶片を頭洞里を訪問した時、見せていただいたし、韓国の作家さんたちは、決して甘い焼きをしていない。高台内の梅華皮が生焼けになるのは、窯の火の回り具合。つまり「置き場所」によるもので、すべてとはいえない。現にこの度の展示には、釉薬が大変よく融けて梅華皮も融けているものが何点もありました。私もかつてはゼーゲル7あたりで焼成していましたが、今はゼーゲル8から9あたりになる高温焼成です。

 図録には、最新の井戸茶碗の産地や考察が記されています。頭洞里や晋州、宝城についても触れられていました。

 いつも思うのですが、いまだに「枇杷釉」という呼び方を井戸茶碗の釉薬に対して使用しているのですが、「枇杷釉」という呼び方は間違いだと指摘する方はいないのでしょうか?韓国の井戸茶碗作家の先生のパンフレット作りをお手伝いした際にも、「枇杷釉」と日本語版に訳されていたので、「枇杷釉ではない」ことを作家や弟子に説明すると、「その通り」と仰って納得していました。日本の学者の影響は、韓国にも及んでおり、再考を促したいところです。

 図録の解説を読み終えましたが、一時は井戸茶碗は「祭器」だという説がありましたが、今は懐疑的にとらえられてました。


 私は土は慶尚南道のカオリン鉱脈が、ずっと続いている地形を見てきましたが、「あの土」が、用いられていることがわかります。井戸茶碗に関しては、さて、どこの窯(韓国の産地)か?ということになると、「対馬」を経由して晋州と行き来がずっと続いていましたから、日本に来た李朝の陶工は土を求めて晋州に往復したことでしょうし、また鎮海や釜山、金海など慶尚南道のあのカオリン鉱脈の土(石)つまり原材料を日本に持ち込むことを李朝の陶工たちは考えただろう、と推察しています。薩摩焼のように「火ばかり」ということも大いに考察できると考えています。根津美術館では、2013年11月9日(土)午後2時から3時30分 赤沼 多佳氏(三井記念美術館参事) による「井戸茶碗の魅力 −その種類と産地をめぐって」という講演も予定されているので、出席なさった方は、是非、そのお話の内容を教えていただければと思います。私は、生憎この日は、北京と磁州窯踏査で中国へ渡航しており、講演会には申し込めませんでした。

posted by 丸山 陶李 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗
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