2012年11月10日

金海粉青陶磁器祭り2012

「2012金海粉青陶磁器祭り」
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「金海粉青陶磁器祭り」が「金海粉青陶磁館」周辺で開催されており、
昨年は五月に金海周辺の博物館をいくつか訪問したのだが、
今年は、このお祭りだけに立ち寄ってみた。


「金海粉青陶磁館」
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なぜか、金海を訪れる時は、いつも大雨にたたられる。
今年も大雨。

「金海粉青陶磁館」では、今年の粉青沙器公募展の入賞作品が展示されていた。

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「金海周辺で発掘された粉青沙器の陶片」(金海粉青陶磁館で)
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「金海粉青陶磁館」併設の登り窯310.jpg

昔の粉青沙器作りの模型。完璧に分業体制だったことが良くわかる。
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こちらは、窯職人たちの模型。
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作家ブースがならぶアーケード
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大雨なのに、たくさんの人出でした。

粉青沙器の素直で素朴な美しさ、いったんは途絶えた幻の粉青沙器が、こうして現代に受け継がれていることはうれしい。

日本の文献に登場する最初の粉青沙器は「三島」と呼ばれた「粉引」「三島手」だが、
「粉引」は「白磁」に憧れて作り出された説が、今日、浸透しているが、これと合わせて、鉄分が多くてどこにでもあるような赤土や黒土にカオリンで化粧することにより、「磁器と同じような耐火度」を持たせようと考えだされたことも加味してみるようになりました。


また、粉青沙器の七つの技法は、今や世界各国で取り入れられているが、
「三島」は、日本の縄文土器から派生したものだという私見がますます強くなりました。

そして粉青沙器の釉薬のブルーや緑の発色の美しさ、すこし融けきれないような膜が張ったように見える場合がありますが(これは井戸茶碗の釉薬にも見かけることがあります)、釉薬の原材料が耐火度の高いものであったことも私の頭の中で整理されてきました。

先日、「井戸茶碗は灰釉ですか?」とお問い合わせがあったのですが、
窯の焼成に合わせて、釉薬に用いる「石」に混合する灰のパーセンテージが高くなれば灰釉だともいえるし、灰のパーセンテージが少なくて融ける石を用いれば石釉となると思いました。

数日前、私の誕生日に、井戸茶碗用に寝かせておいた土で茶碗を挽きました。
9月には、ボソボソ土切れを起こしてしまうでしたが、可塑性がでてきて、とても挽きやすくなりました。
私の誕生日に記念に挽いておいた井戸茶碗の中から、乾燥中ですが一点画像を紹介させていただきます。

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posted by 丸山 陶李 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を
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