2007年10月12日

敗者の母

東京の実家には、生前、母が病床で綴っていた「日記」「歌集」が、帰天後も、そのまま本棚に置いてある。

父は、「日記」も「歌集」にも全く手を触れようとしない。
読むと悲しくなるからかもしれない。

今週、墓参りに行く前に、母の「歌集」を手にして読んでみた。
以前、新聞にも母の歌が掲載された事もあったが、
世を去ってから母の歌を読むのは初めての事だった。

昨今「勝ち組」「負け組」と区別するのが流行っていたが、
何をして勝敗とするのか、おかしなものだ、と思っていた。
人生での有名大企業への就職や、裕福な生活、玉の輿の結婚など、
そのような世の価値観が存在することは認めているが、
自分自身の幸福の価値観を、そこに置くことは愚かしい、と
常々考えていた。

おそらく生前、テレビでスポーツ選手の勝利インタビューでも見たのだろう。
母の歌集に、こんな歌が詠まれていた。

DSCF2118ss-poem.jpg

どんな子であれ、我が子の幸福を祈らぬ母はないだろう。
私の母も、涙の中で、どれほど私のことを祈ってくれた事か、歌集の中に私の折々の姿が登場していた。

なかでも・・・
この歌に泣けてしかたなかった。

母の日記は実家の本棚にそのまま。
この歌集は私の手元に置いておくことにして、持ち帰った。
召されてなお、母の愛は私を育ててくれている。
posted by 丸山 陶李 at 15:58 | TrackBack(0) | 夢は枯野を
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