よくも轆轤で挽くときに、これだけ絞れるなぁ、と感心するくらいに小さい。
茶道の先生は、高台が小さいと不安定で使う時恐い、と言ってらしたが、そのくらい小さい。
高麗から李朝と変遷しても、高台における一連の継承された技術・方法を感じていた。
これは井戸茶碗にも通じるところ。
以前、井戸茶碗一考察にも書いたが、轆轤上で高台径は決まっていて、高台周りと高台内を一削りするだけ、という事には気づいていた。
もう一つ、重要なことが分かった。
糸きりをして、土と茶碗を切放すのではなく、土と茶碗を引きちぎっていた、ということ。
切り糸(シッピキ)は使わない。
高麗から李朝の茶碗の高台には、特色を見ていたのだが、切放していたから、独特の高台の形になるんだ、と納得し、早速、試してみた。
轆轤上で高台内を削るのは、今のところ、どう考えても無理。
せめて、絞った高台径で、切放すということだけでも、と考えて挽いてみた。
井戸茶碗ではなく、三島茶碗です。
追記:高台を切放す時に、指で引きちぎった、あるいは、箆を使ったかもしれません。