2011年10月02日

高麗茶碗の雰囲気

5月に招待された「聞慶伝統茶碗祭り」で、千漢鳳先生が私の茶碗をご覧になって
「高麗茶碗の雰囲気があるのは、この人だけ」と、私の茶碗たちを指さして、
他の作家に向かって仰った。

「高麗茶碗の雰囲気」という言葉が、どのような雰囲気なのか、
その時の私には考えたこともなく、ただひたすら好きな茶碗を目指して作陶し、焼成し、
結果、たくさんの失敗ばかりを積み重ねてきたことだけが、まっさきに自分の茶碗を振り返浮かんできた。

今にして思うと、千漢鳳先生が仰りたかった「高麗茶碗の雰囲気」とは、
独特の土味、それぞれの土の持ち味を生かした様々な茶碗。美しく融けた釉肌、潔い容姿、時にどうしようもないような人間を彷彿とさせるどうしようもない形なのに、そこに内面的な核を感じる形。
静かで派手ではないが、穏やかさと厳しさ相反するようでいて、これらが同居する佇まい。
あれから、思いつくままに「高麗茶碗の雰囲気」について黙想するようになった。

作り手でありながら、窯出しして手入れした茶碗はすでに、私とは違う人格を所有している。
壊してしまおうと手にした茶碗が、何か人間の言葉で語りかけているように思えて、
ふと投げて壊そうとした手を止めたこともある。

茶碗とは実に不思議な存在である。
人間のように人格をもち、その小さな見込には宇宙を抱え込んでいるようで、
私たち不完全でどうしようもない人間が、賛美し感謝する人間が、
そのまま具現して生まれてきたかのようでもある。

100碗の茶碗だけの窯焚きを終えた。
攻め焚きには初めて薪を使った。
良い窯焚きだった。

土と炎と薪と茶碗たちの声が、聞こえてくるようだった。

土たちが新しい生命を受けて誕生することを祝う前夜祭のようだった。

陶の道を歩み続けてこられたことが、薪をくべながら嬉しかった。
生まれてくるだろう茶碗たちへ、愛情がこみあげてくる窯焚きだった。

窯出しした茶碗三点。

井戸平茶碗
20111001kamadashi 143hira.jpg

井戸茶碗と雨漏り茶碗
20111001kamadashi 115-duets.jpg

posted by 丸山 陶李 at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/48286905
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック