2011年06月28日

蹴轆轤作品窯出し

5月の訪韓から蹴轆轤での成形に変わりました。
6月25日に帰国後、初の窯出しを行いました。
土も、釉薬も、変わりました。

土と釉薬の調整にテストを繰り返し、また化粧土も微調整を繰り返しました。
化粧土のカオリンも原料を変えました。


今年の私の井戸茶碗への取り組みで、成形の一番のポイントは「あの轆轤目」でした。
青井戸茶碗の轆轤目、そして喜左衛門の轆轤目。
井戸茶碗に共通する「あの轆轤目」。
まだまだ掴んだばかりですが、「あの轆轤目」には、それなりの成形におけるポイントがあったことを韓国で学んできました。

また、焼成についても、単なる酸化焼成や中性炎焼成ではないことも確認できました。
高麗茶碗の多くにみられる「窯変」は、薪窯から生まれたことを考えれば、「枇杷色は酸化焼成の色」という時折見かける論議には、首をかしげていたのですが、今回の窯焚きでは、薪窯焼成の「ハレ・クモリ」を意識した焚き方にしてみました。
これは、以前より私が灯油窯(薪も投入できる)を使用している一つの理由でもあり、高麗茶碗の窯変はかなり強い還元雰囲気と酸化焼成の繰り返しで起きていることを確信してきたからでもあります。

聞慶で、数点の陶芸家の小品を購入してきましたが、一つ一つが私には師となり、語ってくれるのです。
そして、頭洞里の崔先生にも、井戸茶碗については、多くのご示唆をいただいたことも、私の大きな学びとなりました。蹴轆轤に拘るようになったのは、より美しいフォルムを求めてのことでもありますが、蹴轆轤の回転によって生まれるたおやかで静かな時間の流れを、こよなく愛するようになったからでもあります。

しかし、崔先生との出会いは感動的でした。
聞慶大学のTae Keun Yoo先生に、「頭洞里を訪問したいのだが・・」と相談すると、
「井戸茶碗では韓国では、崔先生が一番だと思う」と仰って、私に紹介してくださったのが崔先生でした。
通訳と案内として同行してくださったCharlieさんと、朝一番、約束の時間に訪問すると、
「私は忙しい。あなたの作った井戸茶碗を持ってきなさい。」と、そっけない返事。
わずか2時間のアポイントメント!
勝手に見て行ってくれ・・・とも、いうようにギャラリーに案内された(笑)。

お茶を入れながら、崔先生は私をいぶかしげにチラッと見ながら、ボソッと、こうつぶやいた。
「女の陶芸家が訪ねて来たのは初めてだ・・・。」

日本人は、二十年以上前から、陶片を盗掘して、韓国のかの地を荒らしてきた。
秀吉の朝鮮出兵の話も飛び出し、「この港から私たちの祖先は日本に連れていかれたのだ。」と話し始めた先生の言葉に聞き入った。崔先生の師は、頭洞里から発掘された陶片だ。私も師をもたずに独学で井戸茶碗を追求してきた。私にとっても師は陶片であり、李朝の陶工が残してくれた陶磁器だったのです。しかし、私は、今まで李朝井戸茶碗の陶片を手にすることができなかった。その夢にまで見た頭洞里の井戸茶碗の陶片を前にに感動を隠せなかった。

私の青井戸茶碗を箱から出して、先生は「私は、この茶碗で茶を点てる。あなたには私の茶碗で茶を点てる。」と言った。

私の青井戸茶碗を、手に取り眺めながら、先生の話と質問が続いた。
「なぜ、井戸茶碗が好きなのか?井戸茶碗のどこに一番惹かれるのか?」
私は、自分の井戸茶碗への思いを率直に語った。

先生は滅多に笑わない。むっつりとした表情だが、突然にこう言った。
「この茶碗を私の友達の茶碗として、頭洞里の井戸茶碗資料館(今年、開館式がある)に展示させてもらいます。そして、あなたを開館式に招待させていただきます。」

この言葉を聞いた時、私は我が耳を疑った!「え?私を?」(Did you say... "me"?)
先生は、静かに頷いた。

カタログや熊川陶磁に関する研究資料を頂戴して、2時間のアポイントメントが、先生の予定をキャンセルして、その日8時間も時間を割いて下さって先生と話しをさせていただいた。ガラスケースの中にある貴重な陶片や「細川」と同じ井戸茶碗の陶片まで展示台を動かして私に見せてくださった。もう、私は夢のなかにいるような気持ちで、通訳(英語と韓国語)の方に「私はもう死ぬのではないか?幸せすぎて、まるで天国にいるようだ。」と申し上げた。

「私は、あなたを友達として受け入れる。いつでも遊びにいらっしゃい。ここに窯場を持つことも可能です。ここで作って日本に送れば良い。あなたの個展の時には知らせてください。なぜ、あなたに井戸茶碗について伝えるのか?それは、若い世代の人たちに井戸茶碗を伝えてほしいからです。」

「私は、頭洞里の山にある岩に上り祖先たちに祈ってくる。こうして茶碗を作っていることが楽しいし、有名になろうとも思っていない。」

崔先生は、井戸茶碗の写しを制作しているのではなく、今を生きる韓国の陶工が、かつての祖先を敬愛し、頭洞里を愛し、その土を愛して、頭洞里の原材料を昔ながらに用いて、現代の井戸茶碗を制作しているのだ。かつての李朝の陶工の精神や魂、崔先生の思いが伝わってきた。。。


かつて私は陶房で、見ず知らずの李朝の陶工の声を聞いた。
「そうだそうだ!」
「いや、そうじゃない。」と。
(この話を通訳したCharlieさんは、「それはクレイジーだろ・・」と笑った。)

再び今を生きる韓国の陶工の心を知った思いである。

崔先生を紹介してくださったTae Keun Yoo先生もまた、こう仰った。
「今度、野村美術館で個展をさせていただきます。韓国の陶工の心を僕は見せたい。」と。
Tae Keun Yoo先生は、時間があれば山を歩き、自ら掘った土で、その土に合った作品を作っている。
その土が無くなれば、それで終わり。常に頭の中では、次の作品の構想がたくさん。
そして、Yoo先生もまた「次の世代の育成」のため、と私に何度も言った。

土を愛し、韓国のやきものを愛し、名声によらず、韓国の陶工の心に触れて、感動がいっぱいだった。
これらの感動が私の糧。
土を送ってくださった熊谷さん、韓国のYoo先生、崔先生、千漢鳳先生、この方々と撮影した写真を陶房に飾り、私は蹴轆轤を挽き続けた。。。

そして、私は心を込めて蹴轆轤で挽き、心を込めて土に触れ、その土を生かす作品を考えて作陶した。
心を込めて釉薬を作った。心を込めて窯焚きをし炎と対話した。かつての李朝の陶工たちの心を心としたいと念じて、節くれだってきた指を手入れしながら、黙って蹴轆轤を挽き続け、またもやオーバーワークで関節があちらこちら痛みはじめた体をいたわりつつ、窯出しまでの重労働をひとりで終えた。「思う一念、岩をも通す」父から教えてもらった、この言葉を反芻しながら。

今週末から、ふたたび「井戸茶碗の故郷・頭洞里」を訪ねて、さらに学びを深めてまいりたいと思っています。頭洞里の土で、井戸茶碗を挽かせていただき、資料館のある山に上り、かつての頭洞里古窯址で李朝の陶工たちに祈りを捧げたいと願っています。

6月25日に窯出しした作品を数点紹介させていただきます。

奥高麗茶碗をもとめて
okukoraihus.jpg
この茶碗は、高台まで釉薬がかかっているので、調整していきます。

湯呑
yunomi-alls.jpg

黒唐津徳利
tokuris.jpg

黒高麗面取一輪挿
kurokorai-mentoris.jpg
この黒高麗も、もう一度釉薬を調整します。

割高台盃
warikodai-guinomis.jpg

井戸茶碗
idochawan20110625s.jpg
posted by 丸山 陶李 at 18:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 制作過程・窯出し作品
この記事へのコメント
初めまして、毎日楽しく拝見しています。
最新作素晴らしいですね。個性と魅力に溢れています。
今後も作品のアップ楽しみにしております。
Posted by hiro at 2011年07月03日 19:05
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