2011年05月27日

蹴轆轤な日々

韓国・聞慶市の「聞慶伝統茶碗祭り・国際交流茶碗展」での感想。

聞慶の地元陶芸家たちは、この茶碗祭りに出展するには、厳しい制約を課せられている。

1.聞慶で制作して三年以上であること。
2.聞慶伝統のマンデンイ窯(登り窯)で薪窯焼成をしていること。(ガス窯や電気窯で焼成している陶芸家は、この時点で出展できない。)
3.茶碗を制作していること。


インターナショナル茶碗交流展に招待された作家にも、制約はあった。
1.茶碗を制作していること。
2.書類(茶碗・作品画像を含む)選考による審査。


昨年・おととしと二年連続で日本から出展した菊池勝太郎氏は、信楽と三島、黄瀬戸の作品をメインに作陶なさっており、洞爺湖に窯を構えている。氏の陶房にもお邪魔したことがあるし、同じギャラリーに作品を納品していた関係で、よくお目にかかった方である。菊池氏の作品は完売で、地元の陶芸家たちよりも売上が上回ったということを、毎年日本人の作家の通訳をしていらっしゃるボランティアさんから耳にした。

私は、何かわからないが、初日から肌で聞慶市関係者や地元陶芸家たちから、日本の作家への熱いまなざしを感じていた。

10日間あまり、毎日、地元陶芸家や招待されたインターナショナル陶芸家たちと親睦を深める中で、二、三感じることがあった。
まず、海外から招待された陶芸家たち。フェローの称号を与えられている陶芸家から、各国で後輩の指導にあたる教授クラスの陶芸家ばかりだ。年齢もそれなりに「若手」とは言えない熟年陶芸家がほとんどだった。

海外では、釉薬の研究と薪窯焼成にかなりの重点がおかれているように見受けられた。
美しい釉薬と美しい完璧なフォルム。
ひとつひとつの作品からは、存在感も感じられるし、立派な作品だと思うものが多かった。

決定的なことは、「茶碗」としての「手とり」「土味」が全くと言ってよいほど、無視されていた。
土さえ変えれば、「茶碗」としての命も息吹を感じられるものになるだろうに、と直感するものが多かった。

とにかく「重い」。ある意味、「茶碗」の形をとった「オブジェ」にようにも思えた。

中には、手とりも土味も、良い茶碗もあった。所謂「アメリカ志野/Western style Shino」の真っ赤な作品、それなりに良いのだが、日本の志野の味わいには、程遠い。「別物」だと思った。茶陶としての感性が相当違う。この点は、伝統や文化の背景からすれば、致し方がないのだろう。海外での「志野」の人気は爆発的だ。しかし、原材料の違い、茶碗への認識の違いから、私の大好きな志野の風合いとは似て非なるものだった。

このあたりのことについては、土を生かし共存していこうという日本の陶芸家に大して、海外では土を制服して表現する美とでも言おうか、大きな違いが存在していた。日本の陶芸も昨今は種種雑多の表現が見られるようになっているので、良し悪しというよりも、好みの問題だろう。

ただ、「伝統茶碗」というテーマに関して言えば、「茶碗」の精神的バックグラウンドがないまま茶碗を作陶しているということには、違和感を感じざるを得なかった。

ルームシェアしたイスラエルの女性陶芸家に、「茶碗には宇宙があり、人間の魂が垣間見られる。精神的な世界が茶碗だ。」という話をベッドにもぐりこみながら話した時、彼女は「ヨーロッパの陶芸家は、そういうことを全く考えていない。その話を他の陶芸家にもしたら、勉強になると思う。私たちは茶碗の精神的背景を全く知らないから。」と言った。

会期中、午前中には著名陶芸家や古窯跡、芸術家や博物館を毎日訪問するスケジュールだった。とても勉強になった。行く先々で、古い陶磁器や手にいれた陶磁器の良し悪しに関して、皆、次第に私に鑑定(?)を依頼するようになって行った。(笑)。

午前中、聞慶作家の陶房を訪問した時のヒトコマ。
touri-mungyeong-s.jpg

茶碗を作ろうと思う陶芸家は、まず「土」選びから始めるだろう。
それほと、茶碗において「土味」は大切なモノでもある。
その「土味」をまったく考えずに茶碗を作るというところに、西洋と日本の陶芸に対する、茶碗に対する感覚が違うということが最大の相違だった。


海外は海外で、さかんにワークショップも開催され、釉薬の研究も凄まじい勢いである。化学的な計算による調合にも軍配があがるだろう。

私のように、天然の灰、天然の材料、土味を生かした単純な茶碗作り、それは聞慶の陶芸家たちにも失われつつあることだった。聞慶の陶芸家のほとんどが、市販の土を用いている、自然灰の美しい流れ(特に粉青沙器や高麗青磁)を伝統的に受け継いで行こう、という点が失われつつあり、残念だったことのひとつである。

聞慶の陶芸家の中にも、若手・中堅の方で、味わいのある茶碗をつくっている方がいた。
やはり、土を吟味し、灰釉の美しさを知っている方だった。

粉青沙器の美しい灰釉の色が、現代作家のどこにも見ることができなかったのも残念なことだった。

地元、聞慶陶芸家による蹴轆轤のコンペティションも開催された。
電動ロクロを主に利用している陶芸家は苦戦していた。
大壺を蹴轆轤で一気に挽き上げる実力、轆轤の技術、さりげない李朝の蒼華や鉄絵。本場ならではの素晴らしい技術をたっぷり拝見した。
IMG_2911s.jpg

しかし、今回の招待、旅については、先輩陶芸家のみなさんから学ぶこと多く、また古窯跡や博物館などでも、収穫はたくさんあった。収穫したことを身に取り入れるべく、帰国後、土に向かっている。

帰国後、一番の大きな変化は、電動ロクロを使わなくなったこと。
毎日、茶碗を蹴轆轤だけで挽いていること。
これも収穫のひとつでしょう。

私のブースでの販売は、土味を全面にだしたぐい呑みや盃は完売でした。
初日から、粉引や鼠志野のぐい呑みは、私がいない間に売れてしまい、作品の写真を撮影していなかったので、後の祭りです。。。
最終日に、目をつけていた作家のブースに人々が訪れます。
そして、一気に作品は人の手に渡っていきました。

興味深い結果が一つ。それは、筒茶碗の形は韓国ではご飯入れの形であり、茶碗としては全く人気がありません。高麗茶碗の伝統を再現しようと茶碗に並々ならぬ力を入れて伝統を次世代に引き継いで行こうとしている聞慶では特に、高麗茶碗の形が好まれている。筒茶碗を持ってきた海外の陶芸家は販売には苦戦しておりました。

伊羅保では有名な作家さんの茶碗、見込み。この茶碗が欲しかったけれど、手がでませんでした。。。
小さな一輪挿しを思い出に購入し、茶碗は写真だけ撮影させていただきました。
IMG_2446s.jpg

土味をさらに生かすために、蹴轆轤で挽いた茶碗や小壺(昨晩挽いたもののみ)。
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posted by 丸山 陶李 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 陶芸・個展関連
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