2011年01月09日

井戸茶碗「俄羅奢」僥倖

手元を離れた器や茶碗たち。
どのように育っているのか、作り手として一番の楽しみでもあります。

たまに、お客様がお使いになっている様子の写真を送って下さったり、
絵手紙に作品の絵を添えて送ってくださったり、
手元を離れた後の育ち具合を拝見する機会は少ないだけに、
感慨もひとしおです。

昨年の秋、丸善芸術祭で「私の井戸茶碗」として初めて展示した「俄羅奢」。
目指す「大井戸茶碗」への道程での一つのエポックである茶碗ですが、
私のクリスチャンネームの「細川ガラシャ」を銘として発表させていただいた茶碗ですので
私なりに、この茶碗への思いは深いものがありました。
「俄羅奢」一碗だけが「私の井戸茶碗」として現在、発表している茶碗です。

何年も、私の井戸茶碗を待っていてくださった方の手元に嫁いで行きました。

箱書きを終えてお送りする時、梱包前には、何枚も「俄羅奢」の写真を撮影し、
その姿、手取り、口当たりなどを心に刻んだものでした。

「俄羅奢」を所蔵していただいている方から、何年か前に、頂戴したメールには、
こう記されておりました。(ご本人の了承を得て紹介させて戴きました。-太字部分-)

陶李さんはじめまして。
いつもHPならびにブログを楽しく拝見しております。
仕事や毎日の生活で行き詰まったとき陶李さんのエッセイで救われたことが数多くありました。

実は今月銀座で行われる予定でした個展を楽しみに待っておりました。
といいますのも私も陶芸をやっているのですが、殊に井戸茶碗に魅せられておりまして、
陶李さんの『右近』そして『ガラシャ』を楽しみに待っていたのです。

私が茶碗に惹かれる理由は作り手の精神性と言うか霊性が深く宿る器であるからです。
いつか自分で作る時の(まだまだ技量的に無理ですが)お手本として、そして我が家の家宝(ちょっと大げさですが)として今回の個展で購入させていただきたいと考えておりました。

実際、一介の平凡なサラリーマンの私の少ない懐で購入させていただける額のものか、いろいろ思案して、逡巡しているうちに月日は流れ、今日思い切ってメールさせていただいた次第です。

陶李さんが長い間研鑽を積まれた茶碗ですのでもう大部分嫁ぎ先は決まっていると思いますが、もし余裕がございましたらそのうち一つを私にお譲りいただけないでしょうか?

誠に勝手なお願いではありますがご検討いただければ幸いです。

私は知的障害者の福祉施設で窯業を担当しておりまして、『陶セラピー』にも大いに興味を持っています。仕事をしていくうえでも陶李さんには大変お世話になっています。


そして、時は流れ二年前。私はアルバイトのWEB制作で右手を痛め、リハピリ生活を余儀なくされました。轆轤も挽けない、菊練りもできない状態に絶望し、陶の道を捨てざるを得ないかと重苦しい毎日を過ごしておりました。

その方から、次のようなメールが届きました。

私は井戸茶碗に魅せられ、自分のとっておきの一碗を欲しいと思っていますが、それ
は井戸茶碗だったら誰が作ったのでも良いのではなく、陶李さんの井戸茶碗が欲しいのです。

今、もしかしたら陶李さんが苦しみの中にあるとしても、何の力を持ち得ない私です。

ですが、陶李さんの存在が生きる勇気であったり、喜びであったり、希望を与えられ
ている人間がいることを忘れないでください。


このような経緯の中で、昨年「俄羅奢」を初展示させていただいたのでした。
今は、右手も少し回復し、轆轤も挽けるようになり、「私の大井戸茶碗」を目指して、
自分を鼓舞させながら、作陶できるようになりました。この道で生きていけよ、との恵みをいただいているのだと感じています。

新しい年、2011年が明けて、
「俄羅奢」の思いがけぬ姿を拝見する恵みをいただきました。
(俄羅奢=Gratia=聖寵、恩寵、恵み。という意味です。)

「俄羅奢」を所蔵されている方のブログ「我が師は半泥子」の中で
昨年の大晦日の「俄羅奢」の姿がこう紹介されていたのです。

gratia.jpg

私にとって今年の一番の出来事はやはり、丸山陶李さんの井戸茶碗『俄羅奢』と出会えたことです。
これはまさに僥倖と言うべき出会いでした。

今年1年の帰し方を、つばらつばらと振り返りつつ、俄羅奢でお茶を一服いただきました。

大晦日、家族が寝た後、俄羅奢を共箱から丁寧に取り出し、全くの自己流でお茶を点ててみました。
ブログに載せようと思って写真を何点か撮ったのですが、写真に映った俄羅奢の立ち姿の神々しさに思わず息を呑み込んでしまいました。
物に魂が宿るって本当なんだなとしみじみと感じました


そして『俄羅奢と出会えて良かった』心からそう思いました。


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「私の井戸茶碗」への思いが、「俄羅奢」の中に魂を宿らせたのでしょうか。
物に魂が宿る・・・
私にとっても「俄羅奢」は、神との共同制作で生まれた茶碗であり「僥倖なる」茶碗であります。

何年も待っていただいて、ようやくお届けした「俄羅奢」でした。
まだ私の井戸茶碗を待っていてくださる方がいらっしゃいます。ありがたいことです。
厳選してお届けできるように、さらに精進を続けてまいりたいと、年頭にあたり思います。
待っていてくださった方にも、まだ待っている方にも、心から感謝です。
なぜなら、私に生きる力をくださっているからです。


posted by 丸山 陶李 at 18:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 井戸茶碗
この記事へのコメント
ご紹介していただきましてありがとうございます。
なんだか恥ずかしいですが、私のメールを陶李さんが大切に残しておいて頂いていたことに感激しております。私も俄羅奢を大切にしていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。
Posted by 佐藤誠 at 2011年01月09日 19:58
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