2010年06月17日

「感激」が創造の基本

唐津の中里太郎右衛門氏(大正12年生まれ)の「唐津焼」に関する資料を拝読しました。

「叩き」の技法が、中国を源として一つは南のタイを中心に展開し、北の方へは朝鮮を経て唐津へ来た、現在もタイでも韓国でも、「叩き」の技法は残っている。

「叩き」の技法は、朝鮮半島から伝わったもので、新羅土器の古い時代のものは「叩き」です。厳密に言うと新羅土器とは多少相違点がありますが、金海土器と称されているものです。中国から伝わった技法の金海土器は、二、三世紀ぐらいまでの間に作られたもので、百済、新羅、任那の土器となり、それが朝鮮半島からさらに日本に伝わり、焼き締まった陶質土器、すなわち須恵器が誕生してくるわけです。そしてこの須恵器にも、叩きのものとそうでない二通りの系統があったのです。

もう少し古い年代に遡ってみますと、中国で最も古いやきものに通称アンダーソン土器(彩文土器)といわれているものがあります。叩き手の技法の源泉はここに見出されます。…この叩き技法で陶器を作った連中は、タイの学者の説によれば、タイ系文化であるとされています。…タイにチェンマイというところがありますが、雲南に動いた連中が南下したんでしょうね。紀元前三〜四世紀の頃、タイの内陸で印文陶器ができております。タイでアンダーソンより古い時代の土器が出土しています。おそらく世界最古の土器の一つではないかといわれています。…タイには中国よりもっと古い、前四、五千年以前から土器があったわけですね。
(以上、「陶工陶談」より)

「叩き」の技法で、唐津では、青海波紋様が器の内側に見られることが多いが、これは松の木を内側に当てて叩きを入れているからです。松の木の年輪が波の紋様になっているわけです。紋様のある理由を調べてみるのも発見があり、面白いものですね。

同様に、「縄文土器」の名付けの由来となっている「縄目」にも、装飾としてだけではなく、土を締めるという役割があることは、以前にブログにも書きました。実に韓国の「三島(印花文等)」が器胎を紋様で埋め尽くすことで、土を締める効果をももたらしていることは陶工が自ら体験して気づいていたことでしょう、と私も三島手の作品を制作してきて思い当たったことでした。

さて、今日、中里太郎右衛門氏の文章から、共感した箇所がありましたので、引用させていただきます。(以下)。

「感激が創造の根本」
なぜ唐津はいいものが焼けたかというと、朝鮮から渡ってきた陶工が、感激して作っているからです。何か新しいものをやる、日本ではまだ釉を掛けたやきものがなかった。いわば処女地に対する意欲がものすごくあった。それに、本国にいるときは賤民としてしか扱われなかったが、こっちへきたら待遇がいい。感激したんですよ。なんでもそうじゃないですか、感激がなければいいものは作れない。 


「感動こそ、私の作陶の原点」「自分が感動してなければ人に感動が伝わるはずがない。と、いつも言い続けてきた私にとって、理屈抜きで、大きく頷ける言葉でした。


posted by 丸山 陶李 at 16:22| 夢は枯野を