2010年03月23日

「まなざし」

自己は他者へのまなざしにおいて自己となります。ひと言でいえば、自己を与えることによって自己は自らの存在を同化し把握して、自己の存在に縛られることがなくなるのです。
−モーリス・ズンデル神父の言葉−

「まなざし」はフランス語ではregard。そして動詞のregarderは「見る」という意味のほか、「考える」という意味もある。まなざしを注ぐということは、考えるということでもある。心をそこに集中し、思いを交し合うということである。
 −阿修羅と現代人の癒し− 立川昭二

ああ・・・
やはり、つながっていた。
「まなざし」という言葉が、ずっとずっと気にかかっていた。
人への「まなざし」、自我を忘れて自己の存在を、もはや超えて、他者へのまなざしになりきること。
やはりそうなのだ・・・。

「まなざし」を持ったときに、大いなる観想の喜びがあった。
素晴らしすぎるので、そっと心の中で鐘を鳴らす。
本当に、あなたに仕えさせていただくことは素晴らしい。

神様に触れさせていただいた。。。

サクランボの花が満開を過ぎた。
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posted by 丸山 陶李 at 23:43| 夢は枯野を