2010年01月12日

宇宙飛行士の言葉

「エピファネイア」主の公現(救い主が神から遣わされて人類のうちに顕現し、イエスのうちに現された神の栄光を讃える日)に月の裏側を見た宇宙飛行士が「人類が月に足跡を残したことより、キリストが2千年前この地球を歩かれたという事実が凄いことだ。」と言っていたのを思い出しハッとしている。

キリスト教、イスラム教、仏教、神道、みな違う名を神にあてている。しかし、名前がどうあれ、それが指し示しているある同一の至高の存在がある。それが存在するということだ。宗教はすべて人間が作った。だから神に違う名前がつけられた。名前は違うが同じ対象なのだ。シーン・サーナン

宇宙で私が感じたのは、宗教の細かな教義なぞどうでもいいじゃないかということだった。目の前に宇宙は美しくある。それだけで十分じゃないか。結局、既成宗教は、同じ宗教心の別の表現だと思う。根にあるものは同じで、表現形態が違うだけだ。エド・ギブスン

この地球を失って宇宙空間に放り出されてしまったら人間にとって宇宙とはこの気味の悪さしか残らない存在。そう考えるとこの地球という星が人間にとっていかに大切でユニークな存在かということがよくわかる。地球という住処を宇宙の中で人間がもっていることの幸せを感じた。ジム・ギブスン

かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きているということ。これこそ神の恩寵だということが何の説明もなしに実感できる。宇宙飛行まで神の存在そのものを疑うこともあった。しかし宇宙から地球を見ることを通して得られた洞察の前にはあらゆる懐疑が吹き飛んだ。ジム・アーウィン

宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的な違いはみんな消し飛んで同じものに見える。相違は現象で、本質は同一性である。人間も、種族、民族は違うかもしれないが、同じホモ・サピエンスに属するものではないかと感じる。ドン・アイズリ

対立、抗争というのは、すべて何らかの違いを前提としたもので、同じものの間には争いがないはずだ。同じだという認識が足りないから争いが起こる。ドン・アイズマン

人間という種に対する義務感を強く感じた。この体験の価値は人類に対して持ち帰って伝えるべきだ。人間はガイアの中で生きている生物であることを自覚して生きていかなければならない。ガイアにとって人間はなにものでもないが人間はガイアなしでは生きられない。ラッセル・シュワイカート

「事実だけでは伝えきれないような、何か根源的なものを、宇宙では感じていました。本質は他のところにあるんじゃないかと。科学者の目でそれを書くには、サイエンス・フィクションの形を取るしかなかった」『モマの火星探検記』著者・毛利衛さんhttp://bit.ly/5luIeP

「モマ。受け入れろ。考えることなく、ただ受け入れろ。考えてはいけない。生まれてきたばかりの赤ん坊のように、ただ、目の前の世界を驚きをもって受け入れろ。考えるのはまだ早い」科学者として教育を受けた私が、亡霊の存在を受け入れることなどできるわけがなかった。毛利衛「モマの火星探検記」

戦争をするエネルギーがあるのなら、それを人類が自ら引き起こした地球の破壊という罪を償うことに費やすべきではないのか。人々はそんな風に思うようになった。地球は文字通り自分たちの母なのだということに、今さらながらに気づいたのだった。 毛利衛「モマの火星探検記」

私はこの時のことをはっきりと覚えている。…その地球が汚されていくことへの悲しみが、強く心を絞めつけたことも・・・・。宇宙からは、地球がまるで皮膚病に冒されているかのように、人間が自然を破壊しているさまも、とてもよく見えたのだから。毛利衛「モマの火星探検記」

この世の中でもっとも大きなもの。想像するのが難しいほどに巨大なもの。それが、わたしが宇宙から見た地球なのだ。…その時、「自分の姿を外から見るために地球は人類を生んだのかもしれない」という考えが、15歳のわたしの心にひらめいたのさ。毛利衛「モマの火星探検記」

確かなのは、わたしたちは太陽系という壮大な時空間で育まれた生命体であり、わたしたちは太陽系人だということなのだ。 毛利衛「モマの火星探検記」

宇宙から見たあの地球の姿が浮かんできた。それは5000万種以上もの生命体が果てしなくつながった、かけがえのないもう一つの宇宙だ。その生命という宇宙を形作るもとはDNAたちだ。その無限個のDNAたちが地球生命体として一個の巨大な意志を持ったとき…毛利衛「モマの火星探検記」






posted by 丸山 陶李 at 13:06| 夢は枯野を