2006年12月18日

反対する勇気

12月16日付け朝日新聞朝刊で
恵泉が教育基本法に反対する声明を出していました(mixi恵泉女学園情報より)。
恵泉女学園のHPにも、大口学園長(札幌の私の陶房を同窓会役員とともに訪問してくださいました・下の写真)の声明文が掲載されていました。

gallery.jpg

http://www.keisen.ac.jp/gakuen/information/data/061120.pdf
↑こちらが声明文です(クリックしてください)。
学園として勇気ある毅然とした姿勢だと思います。


恵泉女学園は、11月3日文化の日「恵泉デー」に参加し、数十年ぶりに訪問してきました私の母校です。

「芸術」「情操教育」に力を入れていた恵泉で学んだことは、
今の私に大きな影響を与えています。
普通高校でありながら、芸大系に進路をとる卒業生が毎年多く、
音楽家・芸術家を世に輩出していることも恵泉の特徴だろうと思います。

なによりも、学園長の声明文を読んで感じた事は
「恵泉スピリット」でした。

神以外なにものも恐れず進もうという、
根底に流れるスピリットは
不確実・不安定なカオスのような情報化社会でも、
私が、物事を見極める原点になっています。

日本人は、「和」の社会を大切にしてきました。
それは、尊ぶべき美しい心であると思います。
しかし反面、この「和」という曖昧なカテゴリーの中で、
「反対」という立場をとることが、
どれだけ敵対者や、冷たい視線を浴びせられることであるか、
私にはよくわかっています。
また、恐れてはいけないことだという事も。
そして、それには「勇気」が必要だという事も身にしみています。
賛成されることが、良いことではなく、
多様性を認め合えることが必要なのだとつくづく思います。

「恵泉スピリット」で大切にされてきた、もう一つの事、
それは、「自分の意見を言える」ことでした。

自ら考え、自分の意見を言えることが尊重されました。
個性尊重の教育です。
青年時代の影響は大きいですね。
たとえ周囲・家族・環境が日本的で「和」を尊ぶものであっても、
こういう教育と雰囲気の学校で育てていただいたことで、
成人後も、私は、
「自分で考え、自分で意見を言えること」を大切にすることができました。
もちろん波風は相当ですが(笑)。

よく正しいとか、間違っているという二者択一の問題提起がなされますが、
私は、二者択一すべき時であっても、
常にそれ以外の選択肢を「自分」で考えることが必要であると思っています。
「正しい」「正しくない」ということよりも、現実の問題を通して「何が神の御旨」であるかを見極めようとする事が大切だと思います。

「群集心理」の恐ろしさを常に心に刻んでいなくては、とも思います。
「右へ習え」では、結末の責任まで他人に転嫁することになります。これはとても情けないことです。人が育ちません。いつまでも、他人のせいにする未熟な人が多いのは、「寄らば大樹の陰」という発想が楽だから、流れ易いのだと思います。

群集心理とは、「イエスを十字架につけろ!」と、怒涛のように叫んだ群集がわかりやすいかと思います。自分で考えることを放棄し、自分で判断しないで、声の大きいものに流れをまかせ、その中で安住しようとする心理です。

反対する勇気・・・と言っても、なんでもかんでも反対すれば良いということではありませんよね。要するに「自分で考え、吟味し、判断し、発言に責任をもつ」という事だと思います。

恵泉学園長の教育基本法への反対声明文を読んで、
最近心身ともに、何かと弱っていた私の心が、力づけられました。
(しばらくジャンベかついで、旅にでようかと思っていました・笑)
やはり、何事も最後は「精神力」だな、と思いました。
マイ・ランターンをかかげながら。
rantan.gif
創立以来受け継がれてきたランターン(学灯)
posted by 丸山 陶李 at 11:42| Comment(0) | 夢は枯野を
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