2008年11月23日

Deo Gratias!

■ペトロ岐部と187殉教者列福式
開催日:2008年11月24日(月、振替休日)
開場 10:00 / 開始 12:00(15:00終了予定)
場所:長崎県営野球場【通称:ビッグNスタジアム
主催:ローマ教皇庁、日本カトリック司教協議会
主管:「ペトロ岐部と187殉教者列福式」実行委員会

明日の正午から開催される列福式はwebでも配信される予定です。
詳しくは、カトリック中央協議会をご覧ください。

叔母が逝去した知らせを受け、父と二人で新幹線に乗り、通夜・告別式・初七日(曹洞宗)と列席して参りました。気ままな旅とは違い疲れました。

TS3G0095.JPG

疲れで、帰宅後も陶房で仕事をする元気もなく体力・気力の挽回にと「休日」を決め込みのんびりした時間の流れに身を任せました。

そんな久しぶりの休養日の中で、私は叔母の葬儀を思い返したり、カインとアベルが今の時代にも生きていると考えたり、カトリックの秘蹟の尊さを思ったり、洗礼の恵みの大きさに気づいたり、永遠のいのちと天国は「今」この時から繋がっていると気づかされたり・・・とてもとても大きな恵みを体験したのでした。

多くをブログでは語りませんが、明日の「ペトロ岐部と187殉教者列福式」へ向けて本当に多くの皆さんが祈り続けてきたことが、私にも恵みとして繋がっているように思えてなりませんでした。

「父の洗礼」をなるべく早く神父様にお願いしてみようと思っています。

私が大井戸茶碗を「私の井戸茶碗」として発表できる日には、キリシタン大名の高山右近から銘をいただき「右近」と名づけようと考えていますが、

その高山右近から「神のことば」を宿された今回の列福式で列福される一人「ディエゴ加賀山隼人」という苦労人は、殉教を前にして妻と三人の娘に宿したことばが、列福の祈りに掲載されていました。

『尽きることのない人生の苦労は、歯をくいしばって耐えるだけがすべてではない。できれば、喜んで耐え、ささげたいものだ』

私は母の帰天以来、「死んだら何もない・・」という思いにとらわれ苦しんできました。信じているものが信じられないことは相当に辛いものがあります。足元を揺るがされるような、そんな感覚でした。

今、思い返してみると大きな誘惑だったとわかります。

「十字架ばかり・・。もうこれ以上はいらない」と神への冒涜すれすれの思いに幾度も襲われました。

おばの葬儀を通して、私に知らされたことが、これからも背負うべき十字架はあるでしょうが、まず洗礼の恵みの大きさと、天国の喜び、今この瞬間にも不完全ではあっても天国を味わっているんだ、という体験は、上記のディエゴ加賀山隼人のことばのように、「喜んで耐え、ささげて生きる」ように導いてくれるように思えて、嬉しくてたまりません。

行く道がどうであれ、私のクリスチャンネームでもある「Gratia」(恩寵・恵み)の中で、
十字架を背負って生きたいと心から思っています。

こんな気づきを与えてくださった神に感謝です。
そして、祈り続けてくださったみなさんに感謝です。

偶然、母校白百合のマ・スールからもお電話をいただき、
毎朝、私のために祈っていてくださったことを知りました。

信仰の暗闇の中で、光に導いてくださったのは、S先生、T先生そして皆さんの祈り、天国の母の祈り・・多くの祈りがあったことを目から鱗が落ちるように知りました。
(そういえば、2008/06/28〜2009/06/29は聖パウロ年!)

明日の列福式には、名もない一般の信者が多数、列福されます。
殉教の恵みを「今を生きる」私たちもきっといただける。
神のみ旨なら!
そう思います。

Deo Gratias!
Gratias vobis ago!

ペトロ岐部像petro-kibe.jpg
posted by 丸山 陶李 at 23:07 | TrackBack(0) | 夢は枯野を
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/23274745
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック