2006年11月24日

ひとごとですか?

 東京に往復ドライブをしてきました。車中、ラジオから「自己破産のススメ」という内容の弁護士によるQ&A形式の番組が流れていました。
 その中でも、日本人の自殺が多い問題がとりあげられ、運転しながら耳を傾けてみました。

 こどもたちの「いじめ」による自殺、若者たちの「将来への絶望」による自殺、中高年の「借金・経済破綻」による自殺。命を絶つことしか見えなくなってしまう究極の選択だと思うのです。

 「自殺」と一言で言いますが、当事者の苦悶は心痛むというような生易しいものではないのです。「命」を「絶つ」ということは、普通の精神状態ではないのです。

 「なんで自殺するの?私なら死ぬという選択はしないわ」と、ひとごとのように、記述されているブログやコメント、そして世論も目にします。

 「愛の反対は、憎しみではありません。無視することです」
 イエズス会のバレンタイン・デ・スーザ神父の言葉です。

 イジメ・意地悪そしてひとごとのような無関心。自殺をただの弱さと上から見下ろしたように意見を述べる人を見るにつけ、私は、こういう感覚をもつ人々に胸が痛みます。

 自殺をする人たちの90%は何らかの精神疾患にかかっていたといわれ、特に自殺した人の50%は「うつ病」だったといわれています。
 「自殺」の原因となるものは、「人間関係のストレス」「うつ病」「喪失体験」の三つが大きいという統計がでています。

 日本はすでに世界一の自殺大国になっている現状、「日本人」「日本という体質」に、おおきな要因が隠されているように思えてなりません。
 でも私たちは日本人として生まれ、日本で生きていくほかないというのが、ほとんどでしょう。

 アメリカでは精神科医のステータスは非常に高く、カウンセリングに若者でも堂々と診療にいける開放的な土壌があります。

 日本はどうでしょう?
 精神科とか精神病には、昔から「臭いものには蓋をしろ」のような「恥ずべきもの」「隠すもの」という土壌があることは否定できません。この現代社会においてもなおです。

 ある20代の女性から相談を受けた事がありますが、地方色の強い地域では、ことさら、精神科をたずねるにも、家族が反対するような偏見が根強く残っているのです。

 堂々と、「苦しい」「体調がすぐれない」「辛い」「悲しい」など、不調を感じた時に、精神科を訪れることができるような環境があれば、一人で苦しまず、たとえ身近に相談する人がいなくても、精神科に行ってみよう、カウンセリングしてもらおう、と当たり前のようにオープンに精神科の診療を受けることができるでしょう。こういう環境を作っていけば、精神疾患や鬱病での自殺は、減らす事ができるのではないか?と私は思います。

 私が芸術療法でお世話になった精神科医の泉基樹先生は、精神科医でありながら自らが鬱病となり、その苦しみを綴った本も出版されています。

 一部、抜粋ですが、
『うつ病の人がいだく悲哀感や苦悩は我々が抱く悲哀・抑うつ感情とは質的に異なっています。それは、出口のないトンネル、あるいは、永遠に続く夜のようで、決して明るい光が射してこない病的な感情状態なのです。なぐさめや励ましは、うつ病の人にとっては空々しく感じられ、ますます苦悩と絶望感を募らせる結果になります。

うつ病の絶望感はとてもつらいものです。将来に全く希望がもてないばかりか、過去の自分の些細な誤りに大きな罪責感をいだくことがあります。それまで好きだった趣味なども楽しめず、物事に対する興味や意欲を失ってしまいます。思考力や判断力が落ちて、更に意欲が低下するため仕事もできず、自分が全く価値のない人間に思えてきます。自己評価が限りなくゼロに近づいていくと、そのような自分に苛立ってしまい落ち着かなくなります。

絶望感の行き着くところは、死によって苦しみを逃れ、死によって問題を解決しようとする自己否定の思いになります。うつ病で自殺を図ったり、自殺をしてしまうのは、このような心理に身を委ねてしまうからです。確かに、うつ状態では、将来の希望を信じることができず、出口も見つからず、万事休すの心境となってしまいますが、これはうつ病という病気がもたらす状態であり、治療により治る状態なのです。すなわち、適切に治療を受けていれば、うつ病による自殺はほとんど避けることができるはずです。

そして、『うつ病の半数以上の人が適切な治療を受けていません」と、おっしゃっています。

自殺の三大要因と言われている「人間関係のストレス」「うつ病」「喪失体験」、これらの要因を減らす事も、もちろん大切です。でも、もし心や体に異常を感じた時に、もっと気軽に精神科や心療内科を訪ねることができたら、と思います。

イジメも意地悪も昔から永遠のテーマのように私たち人間社会では起きていることです。若者言葉で「シカトする」つまり「徹底的に無視する」という言葉がありますが、虐待とともに、あえてする無視・無関心な意地悪は、本当に個人の人格を傷つけ、存在を否定へと向わせる恐ろしい凶器です。

私は、ブログにはプライベートなことは全くと言っていいほど書かないので、
私の数年前の状況は、ほとんどの方が、ご存知ないと思います。
今日、あえてブログに自殺のことを書かせていただいたのは、私自身「鬱病」となり、「希死念慮(自殺願望)」の誘惑に数回襲われ、通院していたドクターの処方により(ひどいときはドグマチール注射)救われた一人だからです。

高いビルを見れば、登って飛び降りたら・・・という衝動にかられ、
電車の通過するホームにいれば、ひきこまれそうな誘惑にかられ、
OD(睡眠薬の大量服薬)を何度もくりかえしました。

無知な人たちは「鬱病なんて心の風邪よ」というでしょう。
でも、人の命を奪おうとする恐ろしい「病気」なのです。
そして、「掛かり始め」と「回復期」に「希死念慮」という怖い「誘惑」が襲ってくる油断できない病気でもあるのです。
でも、カウンセリングと服薬で治る病気であることも事実です。

「生きるのが、そんなに辛いなら 死を選ぶことも一つの選択でしょう。
 でも、私は、あなたに生きていてもらいたい。
 生きていることで、幸福を実感できるとは保証はできないけれど
 私は、精一杯、あなたを愛しているのです。
 不完全な愛かもしれないけれど。
 あなたが存在していてくれるだけでも良いのです」

と、私は伝えたい。

葬儀の時に、亡くなった方を誉めるのを聞くたびに
私は、生きている時にこそ、その方の存在の素晴らしさを伝えてあげたら、
もっと良いのに。と思います。

自殺大国日本。ひとごとではないので、今日は異例の暴露ネタを書かせていただきました。
posted by 丸山 陶李 at 01:11| Comment(0) | 夢は枯野を
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