2012年11月14日

井戸茶碗の土

今日は、篩い通しだけして寝かせておいた原土を「土踏み」をして、土練機にかけました。
井戸茶碗に用いている原土。
今日で、とうとうストックが無くなってしまいました。

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前回の窯焚き(攻め焚きは薪で)の結果、とても納得のできるところまで行きました。
土と釉薬と焼成のバランスが掴めたのです。
ここ二年間、土を変えるたびに、釉薬も調整しなおし、焼成テストの結果から、さらに改良する。と、いったことの繰り返しでした。土と釉薬の石の相性テストも重ねました。釉薬に用いる石が違えば、また発色も異なってくるので、まず「土」が決まらなければ・・・という思いをひきずっていました。

やはり「本願は土にあり」でした。
10月の訪韓時にも、井戸茶碗の土が慶尚南道でも非常に特質のある土であることを再認識しました。
頭洞里では「三白土」と呼ばれている土です。

白・オレンジ・黄色・紫色と、土自体が美しい色をもっています。
土の近くから釉薬に使う陶石も採取します。
この陶石は、水にすぐ溶けてしまうので「水土」とも呼ばれています。
灰や石灰によって、この石を熔解してうわぐすりとなるのですが、
削った部分には梅華皮がでます。
濃度が一番の鍵になるのでしょう。
日本にある井戸茶碗は、本当に釉薬の濃度調整がぴったりと合っていて、
釉薬の性質を知り尽くした人が調整したとしか思えません。

青井戸茶碗の釉胎にクレーターが発生しているものがありますが、
生掛けの際、私はCMCを良く溶かさずに、ゼリー状の粒粒状態で、あえて釉薬に加えたことがありますが、
同じクレーターが発生しました。さて、昔の人々も生掛けの際に剥離を避けるために、フノリみたいなものを使っていたのではないでしょうか?

土踏み
私の用いている原土は、韓国で見てきた三白土にとても似ています。
焼成後、茶碗を水に放つとみるみるうちに枇杷色に変化していきます。
しかし貴重な土なので、削りカスまで再生して使っています。
ほとんど捨てることはありません。

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「土踏み」の後、土練機にかけて再び寝かせています。
使用する時には、韓国で学んだオンギの土作りのように、床に叩きつけるようにして棒状に伸ばし、
可塑性を増し、土を締めます。その後、菊練りをして蹴轆轤に設置します。

私にとって宝物の土です。土練機の中に残った土もすべて掃除して掻き出し使います。
土作りから時間をかけてようやく使用できるようになる、井戸茶碗の土です。

前回の窯出しで得た「破井戸茶碗」で、毎日抹茶をいただくのが楽しみです。
本当に、お茶が美味しくなります。そして茶碗が育っていくのを見るのが喜びです。


posted by 丸山 陶李 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2012年11月10日

金海粉青陶磁器祭り2012

「2012金海粉青陶磁器祭り」
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「金海粉青陶磁器祭り」が「金海粉青陶磁館」周辺で開催されており、
昨年は五月に金海周辺の博物館をいくつか訪問したのだが、
今年は、このお祭りだけに立ち寄ってみた。


「金海粉青陶磁館」
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なぜか、金海を訪れる時は、いつも大雨にたたられる。
今年も大雨。

「金海粉青陶磁館」では、今年の粉青沙器公募展の入賞作品が展示されていた。

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「金海周辺で発掘された粉青沙器の陶片」(金海粉青陶磁館で)
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「金海粉青陶磁館」併設の登り窯310.jpg

昔の粉青沙器作りの模型。完璧に分業体制だったことが良くわかる。
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こちらは、窯職人たちの模型。
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作家ブースがならぶアーケード
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大雨なのに、たくさんの人出でした。

粉青沙器の素直で素朴な美しさ、いったんは途絶えた幻の粉青沙器が、こうして現代に受け継がれていることはうれしい。

日本の文献に登場する最初の粉青沙器は「三島」と呼ばれた「粉引」「三島手」だが、
「粉引」は「白磁」に憧れて作り出された説が、今日、浸透しているが、これと合わせて、鉄分が多くてどこにでもあるような赤土や黒土にカオリンで化粧することにより、「磁器と同じような耐火度」を持たせようと考えだされたことも加味してみるようになりました。


また、粉青沙器の七つの技法は、今や世界各国で取り入れられているが、
「三島」は、日本の縄文土器から派生したものだという私見がますます強くなりました。

そして粉青沙器の釉薬のブルーや緑の発色の美しさ、すこし融けきれないような膜が張ったように見える場合がありますが(これは井戸茶碗の釉薬にも見かけることがあります)、釉薬の原材料が耐火度の高いものであったことも私の頭の中で整理されてきました。

先日、「井戸茶碗は灰釉ですか?」とお問い合わせがあったのですが、
窯の焼成に合わせて、釉薬に用いる「石」に混合する灰のパーセンテージが高くなれば灰釉だともいえるし、灰のパーセンテージが少なくて融ける石を用いれば石釉となると思いました。

数日前、私の誕生日に、井戸茶碗用に寝かせておいた土で茶碗を挽きました。
9月には、ボソボソ土切れを起こしてしまうでしたが、可塑性がでてきて、とても挽きやすくなりました。
私の誕生日に記念に挽いておいた井戸茶碗の中から、乾燥中ですが一点画像を紹介させていただきます。

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posted by 丸山 陶李 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月06日

慶尚南道・泗川を訪ねて[4]

慶尚南道といえば「韓国陶瓷史の研究」
の中でも、粉青沙器や白磁等、「民窯」跡が多い地域で、昨年、訪問した頭洞里を含む、晋州エリアで、そして民窯であるがために、官窯と違い、記録が残されているものが少ないエリアでもある。

私は、地図で泗川市を探した時、まず晋州や山清に隣接していることと、頭洞里にも近いことが頭をよぎった。あの慶尚南道のカオリン鉱脈地帯だ。

10月25日の学術会議が終了し、ステージの上で講師の皆さんと挨拶を交わしている時、一人の紳士が私に質問してきた。通訳さんもステージにまだいたので即座に通訳してくれた。

その男性は、「井戸茶碗の作られた所はどの窯だと思いますか?」と尋ねてきた。

私は、頭洞里の窯跡には行っているが、他の窯跡には行ったことがない。そして、どの窯址にしろ、井戸茶碗だけが焼成されていたわけではないということは、窯址の出土品を見れば一目瞭然のことであって、どこか一つだけを井戸茶碗の焼かれた窯だという判断はできかねる、ということを通訳さんに伝えていただいた。(しかも私は研究者ではない・・・。)

頭洞里を訪ねた後、私の脳裏にいつもあるのは、慶尚南道のカオリン鉱脈が続いているということは、梅華皮のある陶片が採取されたからと言って、そこだけで井戸茶碗が焼かれたのだろうか?この特徴のある「土」が採掘できるところならば、どこか他の場所でも梅華皮のある井戸茶碗(に似た)陶片の出土される可能性は多いにあるだろう。と、いうことだった。

泗川を訪問するにあたり、この地域の古窯址があれば足を運んでみたい、と思っていたが、あいにく時間がとれなかった。

ところが、泗川在住の陶芸家の奥様から、一冊の本と手作りの布袋に入った井戸ぐい呑をプレゼントされたのだ。それは、26日の審査の日だった。帰国するまでは、時間もとれず、その本を開くことはなく、スーツケースに入れたままにしておいた。

茶碗公募展のカタログや、学術会議の資料など、他にも持ち帰ったカタログや本があり、軽めに荷造りしてでかけたスーツケースも、やはり今回も書籍でいっぱいになり、重たくなってしまった。

いただいた本の一冊。韓国古陶磁研究会の趙氏から頂戴した「酒器展」の図録。帰国後、ゆっくり拝見したが、逸品を収集していらして、素晴らしい李朝古陶磁にうっとり。

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続いて、泗川市在住陶芸家の金南珍氏の奥様から頂戴した「千年の魂 高麗茶碗」と金氏が発見した泗川の古窯跡近くの土と石で作った井戸ぐい呑。
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この本を繰り返し読ませていただき、前掲の「韓国陶瓷史の研究」や他の資料などと照合しながら、井戸茶碗は、はたしてどこで焼成されたのか?ということについて考えている。泗川と日本の対馬、そして九州と、当時日本に招聘された陶工たちは、日本にだけとどまっていたのではない、日本に来てからも、対馬を係留地として土を持ち帰るために何度も祖国の地に帰っている。その痕跡があることが確認できた。ロマンは広がる。私は大井戸茶碗に関しては、ある特定の人物が韓国の土を持ち帰り、日本で焼成したものかもしれない。。。と直感的に思っていることがあったので、氏の著書は、大変、参考になっている。

そして、韓国古陶磁の中でも、私が惹かれて小さなコレクションをしてきたものたちがあるが、それらの胎土と釉薬の特徴的なものが発生してきた歴史にも触れてあり、「やはり、私が好きなものの理由は、土とこの素朴な釉薬が連綿と連なってきていたのだ。」とわかり感慨深いものがあった。

メモ代わりに、それらの釉薬について記載しておくと、
「緑釉」「黒釉」「緑青磁」「黄瓷」「粉青磁釉」「伊羅保-チェ釉」「井戸釉」そして「白磁釉」とつながる。

金氏の著書から、金氏が用いている土の採掘現場の写真です。
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次に紹介する画像は、「宝城粉引」の茶碗。これは古陶磁コレクターの趙氏に、「一度でいいから宝城粉引をこの手にして見たい。」と申し上げたら、「明日、もってきます。見せてあげます。」と現物を持ってきてくださったのだ。粉引の火間に釉薬がかかっていないこと、そして実際に触れてみて、土を見なければ白磁と見紛うほどの焼きあがりと、育ち具合を堪能させていただきました。
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これは頭洞里の第2号窯(第1号窯より大きな登り窯)で趙氏が採取した枇杷色の土で焼成された梅華皮のある高台陶片。
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審査日の翌日は、金海で開催されていた「金海粉青沙器祭り」に大雨の中でしたが、立ち寄りました。
金海の一日は、また改めて・・・。
posted by 丸山 陶李 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月04日

慶尚南道・泗川を訪ねて[3]

10月26日(金)は、午前10時から、「慶南茶碗公募展」の審査予定でしたが、
ソウルから到着予定の審査員の一人、崔健先生(朝鮮官窯博物館館長)が飛行機のスケジュールで少し到着が遅れると朝、連絡が入り、審査は昼食をはさんで午後になりました。

※崔健先生の「朝鮮陶磁器の展開とその性格」(要約)はこちらで紹介されています。

中国から一人25日のセミナー講師が出席する予定したが「訪韓のビザがおりない」、ということで韓国から四名、日本から私の五名が提言しました。
以下、韓国語ですが、25日に開催された「韓日中・学術会議」のニュースです。

「2012 慶南茶碗公募展」と「韓日中・学術会議」のニュースhttp://www.news4000.com/news/articleView.html?idxno=12469

審査員は、崔健先生を議長として、釜山の韓国古陶磁研究会の趙氏、聞慶大学陶芸教授の愈氏、そして私の四名です。

審査にあたり、まず過去の公募展(2003年より7回目となる)と同じく「五点」を選ぶことと、
審査基準についてディスカッションがあり、
「とにかく良いものを選ぶ。良いところがありながらも、お互いの競争力をもって、さらに良い物を作れるように。」「本当は審査基準をなくさなければならない。」等の率直な意見がだされました。

また、公募展終了後の、今後への影響や、この公募展が今後の公募展バックアップ体制に関わることだとして、茶碗だけではなく茶器関連のものも検討してはどうか?の意見もでていました。

ある審査員からは、どういう窯を使用しているか?作家がどういうことを目指しているか?を見なければならない。という大切な意見もありました。

実際の審査では、各審査員が、各々五票の札を良い茶碗に投じる、という方法で、
札が投じられた茶碗は、会場の一角の審査員席に集められました。
札を投じるにあたって、「伝統的な茶碗」を3点、「現代的な茶碗」を2点、各審査員が選ぶという今年の方向が加味されました。

単純に計算すれば、審査員数4×5票=20点となりますが、
一点2票あるいは3票を得た茶碗もありました。
最終的に、その中から5点が入賞作品となりました。

入選した五点について(この茶碗のどこが良いか?評価点と講評)と、公募展全体の講評を、4名すべての審査員がボイスレコーダーに吹き込み、
後日、テープ起こしして活字化し、公表されることになりました。

結果残りました五点と入賞者、授賞式の様子がニュースになっています。
 ↓
「2012 慶南茶碗公募展」授賞式と受賞者(五名)の茶碗。
http://www.news4000.com/news/articleView.html?idxno=12714

審査終了後、「韓国と日本では茶碗を【見る目】が違う。勉強になりました。」と仰っていただきました。
私も、分不相応なお役かと思いましたし、また訪韓前の竹島問題もあり、一度はお断りしようと思ったのですが、行って良かった、と思っています。何よりも、大好きな茶碗をたくさん拝見して、自分の学びにもなりました。

そして、私自身の大きな収穫については・・・続きます・・・。
posted by 丸山 陶李 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2012年11月02日

慶尚南道・泗川を訪ねて[2]

慶南茶碗公募展の学術会議が25日(木)に予定されていたが、
私は前日の24日(水)に韓国に到着した。

金海(プサン)国際空港は、仁川(ソウル)国際空港と比べると規模が小さいし軍事空港でもあるため、空港に到着すると写真撮影は禁止されているとアナウンスが聞こえてきた。

空港を出ると、お迎えの人々が各々相手の名前を書いた用紙を掲げている光景に出合う。
これは仁川でも見かけるが、仁川は大きい空港なので、私の名前を掲げている人を見つけるのが大変だったが、金海空港では、すぐに見つけることができた。

男女二人の方が、私の名前を掲げている姿を発見し、声をかけると、
まずびっくりしたらしく、お二人とも目がテンになっている。

女性は「さゆり」さんという日本人で通訳、男性は泗川市在住の作家(書き物)ハ先生であった。

お二人曰く「え?すっかり男性の先生だと思ってお待ちしていたのに、先生は女性だったのですね。」
とのこと。

男性と思われてもしかたないけれど(笑)、まず今回の訪韓では「男性」だと思われていたことが思い出ともなりました。

ホテルまで送ってくださって、その後も、この通訳さんが滞在中はいつも同行してくださって助かりました。学術会議の通訳さんは、また別の方で、専門用語もよく理解し素晴らしい通訳をしてくださいました。
二名の通訳さんをつけてくださったご配慮、有難いことでした。

ホテルでは一人で夕食、レストランのおすすめもあって牛骨肉のスープと御飯を注文しました。
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その後、ホテルから泗川の三千浦港の夜景を撮影。
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翌日、昼食をセミナーの講師の皆さんといただきました。
泗川で一番海鮮料理の美味しいお店だそうです。
写真の「水サラダ」には鮑が入っていて美味!
その奥に見える焼魚は「ぐち」です。「ぐち」を食べさせれば逃げて行った嫁さんも帰ってくる、と言われているほどおいしい魚でした。

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学術会議とオープニングセレモニーを終えて、
泗川文化芸術会館前で、お茶をごちそうになりました。
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毎日一回は、お抹茶をいただかないと物足りない私ですが、美味しいお茶でした。

学術会議の通訳をしてくださった「権」さんとお別れの時に記念撮影。
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彼女が私の胸の十字架を見て、「先生、もしかしたらカトリックですか?」と尋ねるたので
「はい、そうです。」と申し上げると、
「私もカトリックです。これから聖歌隊の練習に行きます。日本人でカトリックの方にお目にかかるのは珍しいことです。」と仰っていました。

二日目の「茶碗公募展の審査」とその日の写真は、またつづきで。。。
posted by 丸山 陶李 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を