2011年12月24日

Happy Christmas!!

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posted by 丸山 陶李 at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2011年12月20日

Hot spot

環境省は19日、東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染で東北・関東地方の8県の102市町村を国から除染の財政支援が受けられる「汚染状況重点調査地域」に指定し公表した

指定された102市町村とは・・・放射線量が毎時0.23マイクロシーベルト以上で事故による追加被曝(ひばく)線量が年間1ミリシーベルトを超える区域があることが条件。

市町村名を活字で見ても、ピンとこないが、指定された102町村のマップを見ると、福島第一原発を起点とする放射能汚染が、どのように飛散しているかが如実にわかる。

福島第一原発と同じ福島県でも、除染区域として半分は指定されていないが、
私の生活している茨城の南部である取手市は、除染状況重点調査区域に色づけされている。

「汚染状況重点調査地域」マップ(asahi.comへ)

先週末、地域の会合があった。
市役所から地域毎に放射性物質測定機器の貸し出しがあるので、各地域毎に数カ所の計測をして、
データを国に報告する、というものだった。

そのために、市では一台10万円以上の価格を支払って、放射能測定器を40台購入したという。
(約500万円ですぞ・・・!)。

今年度、地域の防災担当役が持ち回りで、我が家となっており、その会合では機器の取り扱いについて説明があるという連絡を受けた。

除染対象市町村には国の予算がつく。
しかし、胸の中でモヤモヤする重い気持ちを抱えていた。

近隣は農家である。
「茨城のコシヒカリ」を初めとして、農作物を出荷している。
高い数値の放射能が計測されれば、「風評被害」どころか、死活問題。
低い数値であったなら?・・・つまり、取手市に国から除染の予算が来ないということになる。
この矛盾と苦悩。


事実は一つであるが、複雑な思いで、この役目を果たさねばならない。
地域の数カ所を測定しデータをとるのだ。

それを市がとりまとめ、国に報告する。

「汚染状況重点調査地域」マップを見ると、利根川を挟んで、茨城の取手市や守谷市、そして千葉の我孫子市や柏などが、このエリアに指定されていることがわかる。
利根川によって、東北地方からの風は吹き溜まりとなり、
私たちの近隣市町村を放射能汚染のホットスポットにしていたのである。

3.11の後、初めて降った雨が21日だっただろうか。
あの日、私は仕事で出掛けなければならなかった。
フード付きのコートを着用し、マスクをし、帰宅後は全身シャワーを浴びた。
事故の後の雨が、地上に舞い落ちて土を汚染することは、確実に予想できた。
原爆の後の「黒い雨」ではないが、「痛い」刺さるような雨だった記憶がある。

市役所の測定機器40台の購入に500万近くかかっている。
ごく簡易な測定器であるが。
これらが税金と思うと、40台も購入して各地区で住民に計測してデータを取るということを考えたことすら、「何を考えているんだ?」と感じる。

なおかつ、土の除染の仕方と注意書きが添えてある機器の説明文書にも腹が立つ。
「除染を各自個人でしてくれ」と言わんばかりだ。
国が除染してくれる市町村に指定されたというのに、調査結果が線量が高ければ個人で除染?

草刈の仕方まで、ご丁寧に添えてある。
まっさきに、身体の安全な方法を提示するべきだと思うのだが、最後に「添えて」あるのである。

新年早々、計測が始まるが、近隣の農家のみなさんの心境を思うと、役目とはいえ複雑な重たい気持ち。
役所の税金の使い方も納得できない。

「ただちに健康に影響を与える数値ではない。」
幾度も耳にした言葉が、今回も、むなしくこだまする。

そう。
確かに、体に異常が認められるのは数十年後。
その頃、「忘れないでいてね!」と申し上げたい。
私は、子供たち、次世代が心配です。責任を感じてしまいます。
原子力発電は安全・・・と、疑問も抱かずに電力を享受していたのですから。
posted by 丸山 陶李 at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2011年12月06日

朝鮮陶磁名品展

12月4日(日)朝8時前に陶房を出発し、東京へ。
当初の目的は、父の携帯電話にセットしてあったナビの再設定。
某電話サポートセンターの誤案内によって、ナビの再設定を余儀なくされた。
父の携帯電話と、こちらの携帯電話、そしてパソコンでのナビ機能を再度設定しなければならなくなった。

土曜日と打って変わって快晴。
電話会社の誤案内は迷惑だったが、父に会いに行くと思えば、と気を取り直して快晴の中、渋滞もなくドライブ。

再設定が済むまで一時間ほど。
父と先日、訪問した叔父との写真を見ながら、再設定が済むまで談笑して過ごした。

その後、父は恒例となっている巣鴨のお地蔵様ににお参りに電車で行くと言うので、駅で別れ
私は、他に用事もなかったので、すぐに取手に戻る予定で、東名高速のインターに向かった。

そこで、ハプニング!
東名のインター直前になって「ガソリンが足りない」事に気づいた。
進路を変更し、国道246号にでて、給油し、首都高速から高速道路に乗れば良い、とガソリンスタンドに向かう。

給油後、R246を走りながら、ふと・・・。
「あ、せっかくだから、なんども来そびれていた静嘉堂美術館に寄ってみようかな。」
とiPhoneで、静嘉堂のウェブサイトを検索。

展示案内を見て驚愕!
半ば諦めていた(静嘉堂を訪問したいと望んで数十年来、近くを通っても素通りの連続で縁がなかった。)静嘉堂での「朝鮮陶磁名品展」、この日が最終日だったのだ!

給油のためにR246を通る事になったのが、ラッキー!
そして、この日を選び父の携帯電話の再設定のためだけに朝から東京に出てきたのもラッキー!

「こ、こ、これは神様の思し召し!親孝行のご褒美??」と、胸は高鳴った(笑)。

静かな銀杏並木の入り口。
静嘉堂美術館に到着。
銀杏並木を美術館入り口に向かって歩いていると、
後ろから声をかけられた。
「あの、すみません。これから静嘉堂にいらっしゃいますか?」
と品の良い女性。

「はい。今日が最終日の朝鮮陶磁名品展に参ります。」と、お答えすると、
「よろしかったら、これ使ってください。」と、その女性が招待券(入場無料)をくださった。

「な、な、なんと、今日はラッキー!第三弾!!」

心の中で、今日の偶然を、ただ事ではないと思った。
こんなにラッキーなことが立て続けに起きるなんて。

そして、さらにラッキーだったのは、
「朝鮮陶磁名品展」で展示されていた高麗・李朝陶磁の素晴らしさ!
大阪東洋陶磁美術館で、一日、過ごした時と同様の胸から突き上げてくるような感動を味わった。
「美しい・・・・・。」
素晴らしい高麗青磁や粉青沙器、黒高麗、白磁、辰砂、極めつけは「井戸茶碗・越後」。

静嘉堂は、写真撮影が許可されていないので、「越後」をスケッチ。
もちろん、カタログは手に入れた。

小さな美術館だが、それだけに陶磁器を展示してあるショーケースが、小さ目で、
ガラス越しに、近い距離で陶磁器を拝謁できる。有難い、近距離であった。

「越後」を前に、井戸茶碗の釉薬の掛け方が一つ確認できた。
今年の直近の窯焚きで、私が試みたことは間違っていなかった。
つまり、「高台を指で持たずに、口縁と高台畳付きを手で持って施釉する。」
そのため、手ではさんだ部分に釉なだれが生じ、その部分に釉薬が厚く掛かる。

高台に指跡が残っている井戸茶碗が少ない理由が、この施釉方法で説明がつく。

他にも、拝謁して気づいた事が多々あるが、
「黒高麗」についても一つ確認できた。
私がこのところ成果が良いので、胸に抱えていた黒高麗の施釉について。
黒高麗は、二種類あって、一つは鉄化粧の上に青磁釉を掛けたものだが、
もう一つ、ずっとテストを続けているカリントウのような漆黒のしっとりした黒高麗は、
鉄分を含んだ石間朱を二度掛けして黒を発色させているという事。
見事に二度掛けを実証する壺が静嘉堂で拝謁できた。

名物の井戸茶碗では小振りな大きさの「越後」。
しかし、井戸茶碗に共通する「凛とした品格」を備えた作り。
実に清々しかった。

ラッキーな事が重なって、導かれたように訪れた静嘉堂美術館。
「朝鮮陶磁名品展」でのメモとスケッチは、私に貴重な示唆を与えてくれている。

井戸茶碗「越後」
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玉子手茶碗「小倉山」
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堅手茶碗「秋かぜ」
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朝鮮陶磁名品展ポスター
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posted by 丸山 陶李 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗