2011年11月29日

CAVIN-MORRIS Gallery

先日のブログでも紹介させていただきましたが、
ニューヨークの陶芸ギャラリーとしては老舗であるCAVIN-MORRIS Galleryのウェブサイトに
私の作品が紹介されましたので、お時間がございましたら、どうぞご覧くださいませ。

http://www.cavinmorris.com/home.html

上記URLの作家リスト、中央下から四段目にTouri Maruyamaと掲載されています。
私の名前をクリックすると、先日お送りした作品をGallery専属のカメラマンが撮影した
作品画像がご覧いただけます。

作家リストを見るとお分かりですが、日本の陶芸家、それも第一線で活躍なさっている方々ばかりです。
CAVIN-MORRIS Galleryでのご紹介は、私にとっても大変光栄なことと感じます。

現在、物書きもなさっているオーナーが、私の作品についての文を書いてくださるという連絡をいただいています。どのような感想を伺えるのか、楽しみにしています。

私のウェブサイト内「個展案内」にもすでに掲載しましたが、来年2012年一月から三月まで、CAVIN-MORRIS Galleryが出展する、サンフランシスコ・メトロポリタン・ニューヨークのアート・ショウで、私の作品も紹介されます。

ここ一週間、家の工事を切っ掛けに、家中の大掃除をしました。
たくさんの廃棄物を処分し、ようやくすっきりしました。
気が付けば、クリスマス・カードと年賀状の準備の季節。
街中にはポインセチア。

小さなポインセチアの小鉢を購入し、窓辺に置いてみました。

003.JPG


posted by 丸山 陶李 at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 陶芸・個展関連

2011年11月19日

矯めつ眇めつ

人は鏡。
長いといえば長い人生を歩んできて、自分の来し方、生き様を通して、「人」として学ばせていただいてたんだなぁ、と気づくことがある。

人々の賞賛やら、人々の批判やら、誰しも日々の中で心に浮き沈みする心模様。
それら怒涛のように押し寄せ、流され、翻弄させられたりしている時には見えていなかったものが、
まるで魂のレクイエムのような沈静なる時のなかで、それらのコアが一体なんであったのかが浮かび上がり、やがて自分の本性が明確に見えてきて恥じ入り、なおかつ人々の心のコアも見えてくるのである。

孤独を味わう時間をあえて作る必然を感じる。
孤独とはネガティブな意味合いではなく、ポジティブな意味合いの孤独である。
自らすすんで、一人山に登り、ゲッセマネの園で血の汗を流したイエスの孤独は、大きな決断と共に、
すべてをありのままに受け入れ、人々の思惑のコアを知り、こういう言葉を使うことが許されるのならば、清濁併せのみ、自分の運命を受諾する決定的な孤独であっただろうと思いを馳せる。

何故生まれ、何故死ぬのか。
そう問いかけること自体が、今や青臭く感じる。
私たちにとって確実なことは、生まれて連綿と連なる祖先たちの血を受け継ぎながら、ある時は「はい」と言い、ある時は「いいえ」と言い、与えられた命がどういう運命であろうと、「生きる」「生ききる」ことを目の前に見据え、確実な運命の一つ「死」を眼中におかず、自我の欲求と生きるための本能で、その時々を生きることを切り抜ける術を学ぶ動物である。

日常の何気ない通常の人としての営みに、動物を感じ取って、心が一瞬フリーズすることがある。
動物の方がましかもしれない。彼らは言葉を発せず、痛みにも耐え、黙って生き抜き死んでいくのである。
殺し合いもあるが、人間ほど計算高い殺し合いはしない。いわば自然の営みとしての生死の戦いである。

おそらく、死後の世界を知っていれば、私たち人間は一番まっとうな道を選べるのではないか?と思うことがある。かく言う私ももちろん死後の世界は知りはしない。「こうするとこうなる」だからこちらを選択して生きる、という計算はもしかしたら、死後の世界への選択を決定する言動なのかもしれない、と、そこまで深く考えて決定選択をすることができれば、生きる道しるべとなるだろうに、と途方もないことを考えることがある。

過程から経験を積み道を歩んでいくのが、どうやらこの世での人間の修行らしいが。
死後の世界、あるいは死そのものについて、もっともっと考えれば、なおさら良い道程が人として歩めるだろうに、と思う。

何をするにも、人と自分の関連性は否定できない。
たとえ一人、孤島に住まっていようが、生きていく以上、他との関連なしには生きられないのが地球上の生命体なのだと思い知る。

罪の連鎖が、脈々と血の中に続いているように、それを断ち切る英知も与えられている。
与えられた場所で、与えられた役割、一つの命が生き切るということは、人々に知られようが知られまいが、それをすべて知って死のもたらす意味を再考せよと道しるべを与えてくれている偉人たちも人類の歴史を刻んできた。「いいえ」と言う難しさは、この世では相当しんどい思いを覚悟することでもある、「はい」とだけ言っている方が楽であり、ストレスも少ない。

ロダンの「考える人」の彫刻が、わたしたち人間が何を考えて生きよ、と示唆しているのか。
ふと上野の森で足を止めたことがあった。春夏秋冬の移ろいの中で、根を張り生きるのか、デラシネとして生きるのか、自由である。意志は自由である。決定も自由である。しかし生命体の連鎖のなかで、それに伴い責任というものが枝葉末節広がっていくことは厄介である。

良し悪し、の二元論を述べるつもりは全くない。カミュのように人間の不条理を身をもって知る年を重ねてきたという独り言である。

矯めつ眇めつ陶片を見ながら、学ぶように、物事を様々な角度から見て学び、究極は死後、あるいは死そのものの瞬間に、自分自身の選択と生き様が、死に様に反映されることを自戒をこめて生きていきたいものだと思う。

イエスの十字架での言葉。
「父よ、あの人たちは何も知らないのですから、お赦しください。」
この言葉の深淵。
私は、何も知らないのだ。
私たちは、何もしらないのだ。
「死」を体験していないのだから。
「死後」を学ぶことはできないのだから。

矯めつ眇めつ人を見る。自分を見る。学びは果てしなく続く。
矯めつ眇めつ茶碗を見る。自分を知る。高台を見る。土を見る。人という生き物の感動を見る。心打たれるような茶碗を残したい。言葉ではなく、心から心に。魂に響く、矯めつ眇めつ眺めて心地よい茶碗を。

001.JPG

posted by 丸山 陶李 at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢は枯野を

2011年11月13日

ニューヨークへ-2-

昨日のブログの「オマケ」編。
ニューヨークへ-2-

今まで、海外への作品発送も数多く、梱包には念には念を入れてきたけれど、
今回、ニューヨークへ作品を発送し終え、ホッとしたのもつかの間、
ギャラリーから到着の知らせと共に、『「井戸盃」が欠けているがどうしたものか?』
というメールが入りました。

「少なくとも茶碗を一碗、他の作品を3-4点を送って欲しい」とのオーナーのご要望に応え、
また、その後、「代表的な作品を」ということでしたので、販売せずに自分の記録として
残しておいた「井戸盃」を一点も含めて、ニューヨークに作品を発送したのでした。


6点を焼成し、そのうち4点は、韓国・聞慶市で千漢鳳先生、金事務局長、愈教授、頭洞里資料館へと贈呈し、1点は3月11日の大震災で転がり落ちて欠けてしまったので、残る1点だった。
この一点は、胴中央部に窯傷が入り、漆で補修したが、一番気に入っていた梅華皮のでた井戸盃だった。
窯傷が出たので、売り物にはならないことが却って手元に残す一点として選ばれたように思えていた。

ido-hai-s.jpg

ido-hai-syomen-s.jpg

上の画像二点が、ニューヨークへ発送する直前に撮影した「井戸盃」。

そして、ニューヨークで開梱されて、「欠けている」と送られてきた画像は、こちら。
Maruyama Broken_2s.jpg

日本から日本郵政のEMSで発送。その際+αの金額を支払って保険にも加入していた。
手続きも日本側とアメリカ側からの二カ所で「破損」として書類を書くことになり、
最終的には、日本に返送(無料)してもらうことにした。

どうも、腑に落ちないのは、桐箱に入れて厳重に梱包したのに、一緒に送った大皿(桐箱なし)は大丈夫だったのに、何故、このような破損が生じたのかしら?ということだった。
欠けの状態を写真で見ると、桐箱から出して落としたように直感したのだが、果たしてどうだろう。

その後、ニューヨークのギャラリーとiPhoneのskypeで、通話時間01:03:56で通話料金176円(プリペイドで)という有難いskype料金を確認し、ショックは薄れたが・・・(笑)。

日本に戻ってきたら、漆で補修してあげようと思う。
やはり、この「井戸盃」は、私の手元にあることが運命なのかもしれないと感じた。




posted by 丸山 陶李 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 陶芸・個展関連

2011年11月12日

ニューヨークへ-1-

今年4月に、ニューヨークのCAVIN-MORRIS GALLERYから、

" I was wondering also if you might be interested in showing some of your work in my gallery in NY.
My website is www.cavinmorris.com but this weekend I will have a new studio ceramic website also.
I like your work very much and feel it would look good in New York.
We would be honored to represent you."

と、声をかけていただいたのが契機となり、
また、CAVIN-MORRIS Gallery で、一緒にグループ展に参加するメンバーを伺うと(取扱作家)、
以下の作家の皆様とご一緒とのこと。

Ryoji Koie, Yohei Nishimura, Kei Tsujimura, Yui tsujimura, Tim Rowan, Jeff Shapiro, Kato takahiko, Uchida, Akira Satake, Takashi Nakazato,....others.

ちょうど、四月末に「聞慶国際伝統茶碗祭り・国際交流展」に旅立つ直前のお声掛けであったため、
うれしく、光栄なお誘いにお礼を申し上げて、私は韓国に旅だったのでした。

帰国後の6月、再び、オーナーから連絡があり、6月と10月のグループ展に参加してほしいと仰った。
7月に再び韓国を訪問する予定になってしまい、6月のグループ展は無理なので10月には参加させていただきたい、とお伝えした。

今日、正式にコンサイメント契約に署名をし、作品も既にニューヨークのギャラリーに到着しました。
来週には、CAVIN-MORRIS Galleryのウェブサイトにも掲載されるとのことでした。


特に、私の茶碗を紹介したい、という意向を伺っていますので、これからも茶碗の制作に力を注いでいくつもりです。

ニューヨーク、マンハッタンでは、陶器を扱うギャラリーが二つしかないとのことでした。
老舗のCAVIN-MORRIS GALLERYとの契約(常設作家として)は、
私の作品のニューヨーク・デビューでもあります。

4月に声をかけていただいてから、私の都合で11月にまで契約が遅延してしまいましたが、
さっそく、来年1月から3月まで、CAVIN-MORRIS GALLERYが出展する、メトロポリタン・サンフランシスコ・ニューヨークと三つのアートフェアに私の作品も展示されます。


2011年私の誕生月でもある11月に、正式に契約が成立したのも、時のはからい、でしょうか。

chawan-syomen.jpg
CAVIN-MORRIS GALLERYに到着した私の茶碗。
他に、鼠志野(菓子皿等)と縄文土笛もお送りしました。

積極的に「売り込み」も一切しない、営業が苦手(土作りから作るので精いっぱい)な私ですが、
今まで、どこからか声をかけていただき、様々な国と人々との出会いがあったことは、恵みとしか
思えません。
posted by 丸山 陶李 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 陶芸・個展関連

2011年11月04日

井戸盃六景

2011年の試行錯誤の中から「井戸ぐい呑み」を6点。
土が良いので、梅華皮も良い光景になっているが・・・。


ido-hai6s.jpg
リークテストには不合格。
よって販売に至らずです。

焼成の甘さで漏れるのではなく、原土の荒さによるものなので、
予想・工夫はしていたものの、重湯で煮込んだりしなければ、水のものには使えない。
土一つ変えれば、釉薬との相性から始まり、土の特性をどこまで引き出して作品にするか、
いたちごっこのように、次から次へとテストが続いた一年でもありました。

今年の夏が終わるころから、土作りをはじめて準備している原土があるので、
これからは、この土で井戸茶碗を極めていきたいものだと考えています。

我が陶房は、原土を土練機にかけたものが、山積みとなり、足の踏み場も数少なくなり、
陶李塾を希望されている方々には、申し訳ないのですが、しばらく陶房でのレッスンは
行えそうにありません。それでも、という方は、柏の読売日本テレビ文化センター「癒しの陶芸」にお申込みいただければ幸いです。(月二回の陶芸講座です。)

寒くなったり、暖かい一日だったり、体調を崩しやすい季節です。
皆様、お健やかでありますように!



posted by 丸山 陶李 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗