2011年10月31日

丸山陶李2011PV


(4分18秒)
これから、BGMを入れるのですが、ガンバの演奏を提供してくださる友人にお願いしてみました。

こちらは、従兄弟の声楽家・内田忠行の演奏「丹沢」です。
「丹 沢」(清水重道作詞/信時潔作曲/独唱 内田忠行)


たまに私の作品や撮影した花々が登場しております。

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2011年10月24日

鼠志野 雪月花十字紋 水指 制作過程

制作過程
四面に、雪、月と鳥、花、亀甲紋に十字架を彫りました。(掻き落としました。)


posted by 丸山 陶李 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 制作過程・窯出し作品

2011年10月14日

志野ぐい呑

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2011年9月 窯出し
posted by 丸山 陶李 at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 志野・鼠志野

2011年10月13日

カラスウリ

ある日、夕暮れ時の散歩道。
森の鎮守の一角に蔓性の植物がからんでいるのを見た。

夕暮れの中で、パッと目を惹く白い花。
切り刻まれたような複雑な花びら。
「美しいな」と思った。

足を止めて、これは何という名の花なんだろう?
と、白い花を見つめていた。

秋の気配が深まり、森の鎮守の一角に、
燃えるような朱の実を一つ見つけた。

カラスウリだ。

ああ、あの白い花はカラスウリの花だったんだ。
あの白い花が朱の実をつけるなんて想像できなかった。

9月に窯出しした志野は無地の白志野にこだわっていた。
そこにカラスウリの朱が一筋射してくれたら・・・。

白いカラスウリの花を見てから数年、
今年、我が家の庭にある梅の木に、ポッと朱がさしているのを見つけた。
一粒だけの朱の実。

庭に降りて、側に寄ると、すでに枯れかけたカラスウリの蔓が目にはいった。
枯れかけた蔓に朱のカラスウリが一粒。
この花がここに咲いていたのを見逃したのが惜しかった。

実の朱はパッと目につくが、おそらく白い花一輪は、そっと夕暮れに咲いていたのだろう。

結実したカラスウリを白志野にアレンジした。
今年の秋の思い出に。

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posted by 丸山 陶李 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 志野・鼠志野

2011年10月07日

秋の華

黒高麗とムクゲ
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粉引鶴首花入とムクゲ・紫式部
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絵粉引と金木犀
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鼠志野八角鉢(水桶)も花に占領されてロクロは休業
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posted by 丸山 陶李 at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) |

2011年10月06日

井戸茶碗

100碗の窯出し後、写真を撮影していますが、
これだけの数は半分以上は未発表で物原行きとする予定でも、
なかなか整理がつきません。

窯出しした井戸茶碗をアットランダムに紹介します。

井戸茶碗

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井戸ぐい呑

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posted by 丸山 陶李 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年10月04日

十字架が現れた大井戸茶碗「聖寵」

丸山陶李が初めて公開する大井戸茶碗 銘 「聖寵」です。
窯焚きでは、攻め焚きの際に「薪」を用いて焼成しました。
窯出し後、茶碗の正面に「十字架」が釉弛れで現れているのを見て、
やはり私の作品は「神様との共同制作だ」との感慨を新たにいたしました。

「ナザレのイエス」の銘にしようかと考えたのですが、
十字架を現してくださった神の技を思い「聖寵」といたしました。

今日は、アシジの聖フランシスコ帰天祭です。
聖フランシスコは、十字架を「T(タウ)」で表しました。
大井戸茶碗「聖寵」に現れた十字架も「T(タウ)」のようにも見えます。
私も在世フランシスコ会で誓約をたててから、何十年経ったでしょう。
聖フランシスコの帰天祭を迎える夜は、月を眺めるのが習慣になってしまいました。
今夜の月を眺めて祈りながら、そっとこの茶碗を奉献したいと思います。

オンラインショップ"Gallery 陶李"で紹介させていただきました。

2011年10月1日 窯出し
口径 15-15.5cm
高さ 8.5cm
高台径 5.5cm
重さ 375g

正面
大井戸茶碗「聖寵」

正面伏せた状態
大井戸茶碗「聖寵」

高台と梅華皮(カイラギ)
大井戸茶碗「聖寵」

高台
大井戸茶碗「聖寵」

見込み
大井戸茶碗「聖寵」

※拡大画像は、各画像をクリックすると表示されます(別ウィンドウ)。

水にくぐらせると、パアーッと水を吸い込んで、
水を吸った部分から雨漏り状態になり、
全体が枇杷色に変わっていきます。
以下の画像は、水をくぐらせた画像です。

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手馴れして育つのが楽しみです。
posted by 丸山 陶李 at 11:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年10月03日

古井戸茶碗

古井戸茶碗
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古井戸茶碗/高台
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SK8で焼成、もっと焼き抜いても良かったかもしれない。
釉薬をSK8に調整したが、結果をみていると灰を少し増量するか、
SK7の焼成域に合わせるか、
次回の課題。


posted by 丸山 陶李 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗

2011年10月02日

高麗茶碗の雰囲気

5月に招待された「聞慶伝統茶碗祭り」で、千漢鳳先生が私の茶碗をご覧になって
「高麗茶碗の雰囲気があるのは、この人だけ」と、私の茶碗たちを指さして、
他の作家に向かって仰った。

「高麗茶碗の雰囲気」という言葉が、どのような雰囲気なのか、
その時の私には考えたこともなく、ただひたすら好きな茶碗を目指して作陶し、焼成し、
結果、たくさんの失敗ばかりを積み重ねてきたことだけが、まっさきに自分の茶碗を振り返浮かんできた。

今にして思うと、千漢鳳先生が仰りたかった「高麗茶碗の雰囲気」とは、
独特の土味、それぞれの土の持ち味を生かした様々な茶碗。美しく融けた釉肌、潔い容姿、時にどうしようもないような人間を彷彿とさせるどうしようもない形なのに、そこに内面的な核を感じる形。
静かで派手ではないが、穏やかさと厳しさ相反するようでいて、これらが同居する佇まい。
あれから、思いつくままに「高麗茶碗の雰囲気」について黙想するようになった。

作り手でありながら、窯出しして手入れした茶碗はすでに、私とは違う人格を所有している。
壊してしまおうと手にした茶碗が、何か人間の言葉で語りかけているように思えて、
ふと投げて壊そうとした手を止めたこともある。

茶碗とは実に不思議な存在である。
人間のように人格をもち、その小さな見込には宇宙を抱え込んでいるようで、
私たち不完全でどうしようもない人間が、賛美し感謝する人間が、
そのまま具現して生まれてきたかのようでもある。

100碗の茶碗だけの窯焚きを終えた。
攻め焚きには初めて薪を使った。
良い窯焚きだった。

土と炎と薪と茶碗たちの声が、聞こえてくるようだった。

土たちが新しい生命を受けて誕生することを祝う前夜祭のようだった。

陶の道を歩み続けてこられたことが、薪をくべながら嬉しかった。
生まれてくるだろう茶碗たちへ、愛情がこみあげてくる窯焚きだった。

窯出しした茶碗三点。

井戸平茶碗
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井戸茶碗と雨漏り茶碗
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posted by 丸山 陶李 at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 井戸茶碗