2010年02月18日

「灰の水曜日」の恵み

昨晩の「灰の水曜日」のミサ。告解もさせていただけて大きな恵みでした。今までにないほど、はっきりくっきり額に十字架を灰でつけていただいた(笑)。長年の友人とミサ後、顔を見合わせて「今年は大きな十字架だぁ」と冗談を言い合った。彼女は乳癌の手術を受けてからも、快活。

今朝、雪の中、窯を見に行く、生徒作品の素焼き、無事だった。感謝。今週は下絵付けだよ。陶房で昨日挽いた茶碗の削りをしていたら、良いタイミングで、雪道を釉薬原料が届いた。ありがとう、お気をつけて、と見送る。雪道は人への思いを暖かくする。

五年前に縁在り、手にした絵。画家さんからメールが届いている。暖かい地方から、なんと北海道のラベンダーの地へと引っ越したとのこと。彼女と一緒の生活になったことが、ほのぼのとしたものを文面から感じさせる。画風も少し変わっていた。人の変化は作品にすぐに現れるね。

藤田まことさん、ご逝去。ご冥福を祈ります。「明日への遺言」(大岡昇平:原作)で岡田資中将を演じられ、ひどく感動してこの映画から帰宅したのが私の見た最期の映画になったなあ。「明日への遺言」公式ページに感想が掲載され、今も残っていた。 http://bit.ly/9bt9F4

画像は、蹴轆轤と挽きたての大井戸茶碗。20100215ooido.jpg
posted by 丸山 陶李 at 11:59| 夢は枯野を

2010年02月15日

灰の水曜日にあたって

17日は【灰の水曜日】教皇四旬節メッセージ「人のからだに入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである.人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである」http://bit.ly/aiWJ6D

日本にキリスト教を最初に伝えた聖フランシスコ・ザビエル。イエズス会の宣教師としてポルトガルからインドを目指した大海の旅のなか、多くの病人たちの汚物の処理をし、天に召される人々のために深く祈りを続けたという。日本への宣教もさることながら、この航海の中のザビエルの姿に深く感動する。

パリのソルボンヌ大学で父のような学者になり、楽な生活を夢見ていたザビエルは年上のイグナチオ・ロヨラと同室することになる。当初、ザビエルは神や霊魂のことばかり話すイグナチオが好きになれなかったが、イグナチオの一言が一生ザビエルの胸に焼き付き従うことになった。出会いは摂理だったのだ。

鹿児島で人を誤って殺してしまったヤジローは、ポルトガル船の船長からザビエルを紹介され、罪のゆるしを受ける。そしてヤジローとの出会いがマラッカの丘の上教会にいたザビエルを日本へと向かわせる契機となった。ポルトガルからゴア・マラッカ・日本へと東に向けてザビエルの宣教の道は導かれた。

先日来、Sr.和田町子さんの著書「ミサの物語」を読んでいるが、あらためて「聖フランシスコ・ザビエル」の日本への宣教と、茶道との関わり、秀吉による日本26聖人の殉教と、多くの先人たちの深く素朴な命がけの信仰に鑑み、自分の信仰と生活、陶芸と感じ入る。これからも十字架を刻み続けます。

「心のともしび」で聖フランシスコ・ザビエルや他の聖人についての動画が配信されている。四旬節の黙想の一助に、ご存知の方も多いと思いますが、URL貼ってみます。 http://bit.ly/90tMsW
posted by 丸山 陶李 at 16:35| 夢は枯野を

2010年02月10日

ロケット

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ロケットの花、窓辺で咲いていた。
気がつかなかった。
十字架の白い花。

良いことも、あまりよろしくないことも、いつも、あの方が見ていてくれ、私が忘れても、忘れずにいてくれるので、ことさら弁明する必要も感じない。ありのまま、全てをご存知の方がいる。人が見ていない行いも、すべて見ていてくれるから。心の動きさえも。どれだけ愛を込めたかも言う必要もない。

Benediction(祝福)。神が「良い」と仰った恵みに与ること。反対は、Malediction(呪い)。人の悪口を言うのは「呪いの技」をなしている(笑)。自分の口、自分の耳。自分の口が放った言葉をまず受け取るのは自分なのだから、良い言葉を放つよう心がけたいものだ。と、思う。
posted by 丸山 陶李 at 20:01|

2010年02月07日

Twitterから

「水を掬えば 月 手に在り 花を弄べば 香 衣に満ち」(虚堂録)…あまりに美しい言葉、情景が浮かぶ。そのうえ、心に沁みました。しばし味わい、心にメモ。茶碗の銘に、インスピレーションを頂戴しました。

九谷近郊の教会からの注文。某陶芸家とも大変親しいのに私に注文してくださった。それがプレッシャーになり、轆轤を挽きながら、焼成の心配が頭を過ぎる。窯の神に祈った陶工たちも、一窯を台無しにする窯焚きがあることを熟知していたからこそだろう。窯焚きの度に思い知らされる。神との共同制作だと。

祖母から父へ、そして私へと継がれた言葉がいくつかあるが、「思えば思われる」という一言は、簡素な中に味わえば味わうほど深いものを感じる。思いを向けることが、祈りにもなり、思いを受け取ることが感謝につながる。差し出すも、受け取るも、器次第ということだろうな。

2月5日。「日本26聖人殉教者」祝日。長崎に行った時、真っ先に「西坂の丘」に向かった。船越保武氏の「二十六聖人」像の前で跪き、ロザリオの祈りを一連捧げた。豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による初の処刑だった。

舟越保武氏は、現カトリック美術協会を創設した一人。独学で石彫をはじめ、佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家となった。脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になったが、死の直前まで左手で創作を続けた。以前、晩年の左手だけの制作の様子をTVで拝見し、生涯この道を、と勇気をいただいた。

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posted by 丸山 陶李 at 11:17| 夢は枯野を

2010年02月04日

たんぽぽ



歌う陶芸家、丸山陶李がヘタクソな歌とギターで「たんぽぽ」を歌っております。写真は、雪の窯小屋や庭の花々です。耳の良い方は 、聴かない方が良いです。
posted by 丸山 陶李 at 21:46|