2006年11月30日

恥ずかしかった

歯医者に通院。
今日は、歯石を除去してもらったので麻酔された。
おかげで、全く痛みもなく眠くなるほど(笑)。
こんなによく歯ブラシしているのになぁ。。と思うが、
歯石ってたまるらしいから、定期的に診てもらうようにしています。

気持ちよく治療も終わって、
普段から日常生活では、ボーっとしている私ですが
麻酔も、ほどよく効いていたので、感覚がさらにボーっとしていたのか
快感さえも感じるような、頭空っぽな、そんな無防備状態で、
先生や受付けの方に「ありがとうございましたぁ〜♪」と挨拶して、
気持ちは、すでに駐車場へ向っていました。

今日も外は、また雨。。。
冷えますねぇ。。。

「あ、そうだ!ちょっとトイレに寄っていこう!」
と、突然湧き上がる自分への心配り(笑)に従順に従う。
そして、歯医者のあるビルのトイレへ。

ルンルン〜♪(でもないが・・・)
トイレに入って、
「ん?」
「ん?」
「ん?」
何か違和感を肌で感じる(汗)

「ハッ!!」
「シマッタっ!」


と天然××状態から、我に返った!!

男子トイレ。。。

恥ずかしい〜〜〜〜〜っ!! ⇒ダッシュ!!

何事もなかったかのごとく、平静を装い、冷静に車を運転して帰宅。

雨なので仕事延期。
「マイ透明釉薬」と「マイコンプレッサー」にでも
登場してもらいましょうか(笑)

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posted by 丸山 陶李 at 16:53| Comment(0) | 夢は枯野を

2006年11月29日

晴れた!

四日ぶりの快晴♪
やっと晴れてくれましたぁ。
晴耕雨読⇒晴陶雨聴な私です。

お天気に心が左右されるのは私だけ?
雨も必要だし、雨の日に家の中で手作りしたり絵を描いたりするのが
小さい頃から好きだった。
でも、晴れると気持ちいい。

自然と向き合って、土と向き合って
自然陶法(笑)で、これからも作っていきたい。
北海道では、今頃は雪。去年までは、こんな天日干しはできなかった。
ヒャホ〜イ!!

これから、コンプレッサーで生掛けする作品たち。
窯焚き間近♪

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posted by 丸山 陶李 at 13:13| Comment(0) | 陶芸・個展関連

2006年11月28日

感性を磨く

今日は、二つ目のブログ(笑)
一つ目を書き終わったら、唐津の丸田宗彦さんから電話が入り、
先日、いただいた「奥高麗茶碗」について、お話をしました。

これが、私の手元に届いた丸田さんの「奥高麗茶碗」
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もともと陶器が好きで好きで、骨董少女の熟れの果てである私ですが、
好きだから、他の作家の陶器も気に入れば買います。
この茶碗も、手にとっていたら、その場を動けなくなり(笑)
手に入れさせてもらったものです。

先ほど、丸田さんと話したのは、
ある有名な陶芸月刊誌に、この茶碗が掲載されたのですが、
その記者が間違えて、この茶碗を「唐津茶碗」と紹介したのです。
届いた箱書きをみたら「奥高麗茶碗」となっています。

まぁ、「唐津茶碗」でも「奥高麗茶碗」でも、気に入っているので、
問題はないのですが、茶碗の箱書きが違っていたら、これから困るのは
私ですから。

それにしても、専門の陶芸月刊誌の記者も、勉強たりないよね(笑)

よく個展などで、陶芸をやっている人の質問攻めに会います。
ある程度は、対処するし、質問も歓迎なのですが、
メールで、私の井戸茶碗の土は?釉薬は?などと名も名乗らずに(笑)
質問を寄せてくる人もいます。

陶李塾の一日体験に申し込んでいらした方が、
「井戸茶碗の土を知りたい」ということを、
こちらのスケジュールが合わずにお断りした後で、知らされて、
たかだか3.500円の一日体験(笑)で、
井戸茶碗の土を教えてもらおうと言うのも、どうなんだろうな?
と、甚だ疑問に思った事も、最近ありました。

私は、独学ですから、陶器好きなことも手伝って、
いろんな作家さんの陶器を手元に置いて、使わせていただいています。
ホームページでも、「コレクション」のページで紹介しているとおりです。
(最近、更新していませんが・・・汗)

丸田さんの言葉ですが、
「感性を磨くためのアドバイス」というインタビューに答えて、
こうおっしゃっています。
「自分の感覚でいいものを見つけてくることが大事だと思います。
 その為には遠回きで見ているだけではだめ。
 手に入れてそれを手なづけるっていうのかな、自分なりのものにする。
 そして物足りなくなったら、次のステップへすすむんです。
 ある程度自分への投資が必要だと思います。
 いいものを見つけだして手に入れる時のどきどき感や、
 使いこなそうとする時のわくわく感を、
 ぜひ若い人たちに味わってほしいです。」


 私は、他の作家さんの個展に伺う時には(もちろん、興味のない作家の個展には行きませんので)、気に入ったものがあれば作家さんへの礼儀としても、作品について、お話を伺わせていただき、好きなものは、何か一つ頂いてきます。こうして、自分の感性を磨いてきたのは事実ですし、現代のものだけではなく、骨董に関しても、本物を(たとえ、陶片でも)自分の手元におき、何度も手にし、眺め、愛でてきましたが、それが作陶上の肥やしにもなっているのも事実です。

 丸田さんとも、この奥高麗茶碗の釉薬原料となっている長石や、古色つけについて、お話しましたけれど、ただ、やみくもに作家に聞くというのではなく、知りたければ作品の一つも手にして自分の目や手で確かめてみるのも大切なことだと思っています。使ってわかることって、結構あるんですよ。

 メールや体験塾など、安易な方法で、なんでも聞いてくるのも、昨今の情報社会では、ありがちなことだとは、思います。しかし、作家に聞いて、それをものにしたいなら、自分でも作家のものを手にして研究しようという、そんな感性ももっていただいたらなぁ、とも思うのです。

 ある亡くなられた人間国宝の陶芸家の言葉に、個展の時に、質問攻めをしてひとつも買わない陶芸をやっている人たちを皮肉った言葉がありましたが(趣味の方だけでなく、プロの陶芸家にも、こういう御仁がいるんですよ・笑)、命を掛けて、この道で生きていこうとしている作家たち、そして追求している作家たちにとって、伝えられることとそうでないことがあることくらい分別できる人格を磨いていただければ、と私も、大いに共感したものでした。その陶芸家の言っているとおり、人間のあさましさ・・・を見るような気分になるのですよね。とても、後味がよくないのです。疲れるし(笑)。

あ、もちろん、買わないから個展には行かない、というのは違いますよ。
せめて、その作家の作品について、どう感じたか、そんなことを作家に伝えて去ればよろしいでしょう。

 丸田宗彦さんと、気さくに話しましたけれど、お互い、陶芸を生業としている者同士、そのあたりは、お互いに礼儀としても立ち入れないところがあるのは、ニュアンスで感じ合いましたし、私は今日届いた茶碗が、どんなにいとおしいかをお伝えしました。

 明日は、おいしい和菓子を添えて、自服し、楽しませていただきましょう♪

 

posted by 丸山 陶李 at 15:28| Comment(0) | 陶芸・個展関連

DUETとカサブランカ

まもなく窯焚き。
この窯が終えたら、執念の「井戸茶碗」に没頭です。

昨日のブログにリクエストがありましたので、
作品+花・料理などの画像を紹介していきたいと思います。

今日の画像は、「Duet」という作品(2002年作)
カサブランカの花は、この作品に投げ入れていません(笑)
ガムテープで中心に貼り付けて、撮影したものです。
だって、口に活けたらバランス良くないし、納得できなかったから。
カサブランカ無しの状態が右側の画像です。

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この作品の制作過程は、ホームページでも紹介しています。
ご覧になっている方は、多いと思いますが、一応URL貼りますね♪
http://touri.jp/process/p-duet.htm
posted by 丸山 陶李 at 13:42| Comment(0) | 制作過程・窯出し作品

2006年11月27日

粉引大壺

陶李会の佐藤会長から、「蔓梅もどき」
奥様からは、「アドヴェント・キャンドルスタンド」
が、今、到着したばかり。

「粉引の大壺に、蔓梅もどきを投げ入れたら
 どんなに見事だろう!」


と、佐藤先生が送ってくださったものです。

ありがとうございました♪

長野での個展は、九月開催が多いのですが、
ちょうど、華道の先生が粉引大壺に「蔓梅もどき」を活けてくださった長野個展の画像がありますので、紹介しますね♪

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posted by 丸山 陶李 at 11:07| Comment(0) | 制作過程・窯出し作品

2006年11月25日

シューベルトのミサ曲

東京や近郊で、ルネッサンス・バロック(特にバッハ)を歌える合唱団を探していましたが、やっと決めました。

電車で通うにも、車で通うにも練習会場が近くないと無理な状況だし、
今までのように少人数の合唱団だと、ひとりの責任負担が大きくなるので、

大合唱団で、出席できなくても、演奏会に出れなくてもOKという
大変、「ゆるい」条件で決めました(笑)

今日、練習見学に行ってきて、
「指揮者」で決めました!

札幌でお世話になった芸大バッハ・カンタータクラブに所属していたO先生の、先輩で、芸大バッハ・カンタータクラブを創立したY先生の指導です。
この先生なら、指導してもらいたいな、と思いました。

昔のように、音取りに時間を割いていられない自分の状況では
合唱団のレベルは、関係ないので、
指導者に恵まれ、練習会場も近いので、もう決定しました。

今日の練習は、
「シューベルト/ミサ曲第1番 ヘ長調」
「源田俊一郎/ふるさとの四季」
「信長貴富/新しい歌」
でした。

シューベルトのミサ曲、kyrieとDona nobis pacemを歌ってきましたが、
とても気に入りました。
合唱再開です♪
でもね・・・B♭がでなかった(涙)Aもきつかった。

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posted by 丸山 陶李 at 21:50| Comment(0) | 夢は枯野を

フラッシュバック

昨日のブログを一部訂正させてくださいね。

「愛の反対は、憎しみではありません。無視することです」
は、マザーテレサの言葉ではなく、
イエズス会のバレンタイン・デ・スーザ神父の言葉でした。

ブログを書くときに、行き当たりバッタリで自分の記憶を確認もせず、
推敲もせずに書いてしまうので、数箇所文章もおかしかったのを
先ほど訂正いたしました。・・・反省。

過去の追憶は、文章にすることによって、
フラッシュバックで蘇ってくるのですね。
今日一日、疲れがどっと出てしまい、寝込んでしまいました。
ああ、こんな状態が蘇ってくるのはマズイな、と思いつつ、
無理をせずに、休みにしちゃおう、と仕事には触れませんでした。

明日は気力も体力も挽回しているといいな。
多くの皆さんが、貴重な体験をシェアしてくださって
ありがとうございました。

札幌の「かやの茶屋」に、ブリュレなど注文したら
いつも、ごちそうしていただいていた「梅ブランデー」も届きました。
眠れない夜には、うれしいプレゼントです♪

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posted by 丸山 陶李 at 00:21| Comment(0) | 夢は枯野を

2006年11月24日

ひとごとですか?

 東京に往復ドライブをしてきました。車中、ラジオから「自己破産のススメ」という内容の弁護士によるQ&A形式の番組が流れていました。
 その中でも、日本人の自殺が多い問題がとりあげられ、運転しながら耳を傾けてみました。

 こどもたちの「いじめ」による自殺、若者たちの「将来への絶望」による自殺、中高年の「借金・経済破綻」による自殺。命を絶つことしか見えなくなってしまう究極の選択だと思うのです。

 「自殺」と一言で言いますが、当事者の苦悶は心痛むというような生易しいものではないのです。「命」を「絶つ」ということは、普通の精神状態ではないのです。

 「なんで自殺するの?私なら死ぬという選択はしないわ」と、ひとごとのように、記述されているブログやコメント、そして世論も目にします。

 「愛の反対は、憎しみではありません。無視することです」
 イエズス会のバレンタイン・デ・スーザ神父の言葉です。

 イジメ・意地悪そしてひとごとのような無関心。自殺をただの弱さと上から見下ろしたように意見を述べる人を見るにつけ、私は、こういう感覚をもつ人々に胸が痛みます。

 自殺をする人たちの90%は何らかの精神疾患にかかっていたといわれ、特に自殺した人の50%は「うつ病」だったといわれています。
 「自殺」の原因となるものは、「人間関係のストレス」「うつ病」「喪失体験」の三つが大きいという統計がでています。

 日本はすでに世界一の自殺大国になっている現状、「日本人」「日本という体質」に、おおきな要因が隠されているように思えてなりません。
 でも私たちは日本人として生まれ、日本で生きていくほかないというのが、ほとんどでしょう。

 アメリカでは精神科医のステータスは非常に高く、カウンセリングに若者でも堂々と診療にいける開放的な土壌があります。

 日本はどうでしょう?
 精神科とか精神病には、昔から「臭いものには蓋をしろ」のような「恥ずべきもの」「隠すもの」という土壌があることは否定できません。この現代社会においてもなおです。

 ある20代の女性から相談を受けた事がありますが、地方色の強い地域では、ことさら、精神科をたずねるにも、家族が反対するような偏見が根強く残っているのです。

 堂々と、「苦しい」「体調がすぐれない」「辛い」「悲しい」など、不調を感じた時に、精神科を訪れることができるような環境があれば、一人で苦しまず、たとえ身近に相談する人がいなくても、精神科に行ってみよう、カウンセリングしてもらおう、と当たり前のようにオープンに精神科の診療を受けることができるでしょう。こういう環境を作っていけば、精神疾患や鬱病での自殺は、減らす事ができるのではないか?と私は思います。

 私が芸術療法でお世話になった精神科医の泉基樹先生は、精神科医でありながら自らが鬱病となり、その苦しみを綴った本も出版されています。

 一部、抜粋ですが、
『うつ病の人がいだく悲哀感や苦悩は我々が抱く悲哀・抑うつ感情とは質的に異なっています。それは、出口のないトンネル、あるいは、永遠に続く夜のようで、決して明るい光が射してこない病的な感情状態なのです。なぐさめや励ましは、うつ病の人にとっては空々しく感じられ、ますます苦悩と絶望感を募らせる結果になります。

うつ病の絶望感はとてもつらいものです。将来に全く希望がもてないばかりか、過去の自分の些細な誤りに大きな罪責感をいだくことがあります。それまで好きだった趣味なども楽しめず、物事に対する興味や意欲を失ってしまいます。思考力や判断力が落ちて、更に意欲が低下するため仕事もできず、自分が全く価値のない人間に思えてきます。自己評価が限りなくゼロに近づいていくと、そのような自分に苛立ってしまい落ち着かなくなります。

絶望感の行き着くところは、死によって苦しみを逃れ、死によって問題を解決しようとする自己否定の思いになります。うつ病で自殺を図ったり、自殺をしてしまうのは、このような心理に身を委ねてしまうからです。確かに、うつ状態では、将来の希望を信じることができず、出口も見つからず、万事休すの心境となってしまいますが、これはうつ病という病気がもたらす状態であり、治療により治る状態なのです。すなわち、適切に治療を受けていれば、うつ病による自殺はほとんど避けることができるはずです。

そして、『うつ病の半数以上の人が適切な治療を受けていません」と、おっしゃっています。

自殺の三大要因と言われている「人間関係のストレス」「うつ病」「喪失体験」、これらの要因を減らす事も、もちろん大切です。でも、もし心や体に異常を感じた時に、もっと気軽に精神科や心療内科を訪ねることができたら、と思います。

イジメも意地悪も昔から永遠のテーマのように私たち人間社会では起きていることです。若者言葉で「シカトする」つまり「徹底的に無視する」という言葉がありますが、虐待とともに、あえてする無視・無関心な意地悪は、本当に個人の人格を傷つけ、存在を否定へと向わせる恐ろしい凶器です。

私は、ブログにはプライベートなことは全くと言っていいほど書かないので、
私の数年前の状況は、ほとんどの方が、ご存知ないと思います。
今日、あえてブログに自殺のことを書かせていただいたのは、私自身「鬱病」となり、「希死念慮(自殺願望)」の誘惑に数回襲われ、通院していたドクターの処方により(ひどいときはドグマチール注射)救われた一人だからです。

高いビルを見れば、登って飛び降りたら・・・という衝動にかられ、
電車の通過するホームにいれば、ひきこまれそうな誘惑にかられ、
OD(睡眠薬の大量服薬)を何度もくりかえしました。

無知な人たちは「鬱病なんて心の風邪よ」というでしょう。
でも、人の命を奪おうとする恐ろしい「病気」なのです。
そして、「掛かり始め」と「回復期」に「希死念慮」という怖い「誘惑」が襲ってくる油断できない病気でもあるのです。
でも、カウンセリングと服薬で治る病気であることも事実です。

「生きるのが、そんなに辛いなら 死を選ぶことも一つの選択でしょう。
 でも、私は、あなたに生きていてもらいたい。
 生きていることで、幸福を実感できるとは保証はできないけれど
 私は、精一杯、あなたを愛しているのです。
 不完全な愛かもしれないけれど。
 あなたが存在していてくれるだけでも良いのです」

と、私は伝えたい。

葬儀の時に、亡くなった方を誉めるのを聞くたびに
私は、生きている時にこそ、その方の存在の素晴らしさを伝えてあげたら、
もっと良いのに。と思います。

自殺大国日本。ひとごとではないので、今日は異例の暴露ネタを書かせていただきました。
posted by 丸山 陶李 at 01:11| Comment(0) | 夢は枯野を

2006年11月22日

思い入れだけでは

デジカメのお陰で、自作を撮影し、すぐにパソコンで見る事ができるのは
数年前には、考えられなかった事。
フィルムで撮影し、現像にだして、早くとも写真として見る事ができるのは、数時間後だった。
これは、とってもありがたいこと。

フィルム代や現像料も、いらないから尚更ありがたい。

一旦、作品を離れてパソコンで見ると、土に向っている時には
見えていなかったものが、見えてくる。

「いくら思い入れのある作品でも、客観的に見る必要がある」
と、フィルム現像時代から思っていたけれど、

今日も、成形の段階でデジカメで撮影して、
これからの轆轤挽きのイメージングと、客観的に造形を見てみた。

たとえ見る人が許せる範囲と思ったり、見逃したりすることでも、
自分で納得できないものは、焼成してはならない。と思う。

なぜなら、それは人をも騙す作業になるから。
自分の目と、自分の思いは、自分のためにも、
厳しく育てていかなければと思う。
自分を欺き、人を欺くような作品を良しとするなら、
壊したほうがいい。

壊す時の快感は、物原へ投げ入れなくてはならない窯出し作品への
申し訳なさとは違って、再生という希望を残してくれる。

今日の仕事画像を見ながら、考えたこと。

これから倒していく大皿二点。
明日は、どちらかが壊される。
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うちのワンコ用のフード入れ(お犬様!笑)
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posted by 丸山 陶李 at 16:30| Comment(0) | 夢は枯野を

2006年11月19日

沁みた・・・

マザーテレサの言葉

人は、不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に伝えなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

★今日の仕事
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 先日の三島大皿の逆象嵌バージョン
 逆もまた真なり(笑)
posted by 丸山 陶李 at 20:19| Comment(0) | 夢は枯野を