2011年12月24日
2011年12月20日
Hot spot
環境省は19日、東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染で東北・関東地方の8県の102市町村を国から除染の財政支援が受けられる「汚染状況重点調査地域」に指定し公表した。
指定された102市町村とは・・・放射線量が毎時0.23マイクロシーベルト以上で事故による追加被曝(ひばく)線量が年間1ミリシーベルトを超える区域があることが条件。
市町村名を活字で見ても、ピンとこないが、指定された102町村のマップを見ると、福島第一原発を起点とする放射能汚染が、どのように飛散しているかが如実にわかる。
福島第一原発と同じ福島県でも、除染区域として半分は指定されていないが、
私の生活している茨城の南部である取手市は、除染状況重点調査区域に色づけされている。
「汚染状況重点調査地域」マップ(asahi.comへ)
先週末、地域の会合があった。
市役所から地域毎に放射性物質測定機器の貸し出しがあるので、各地域毎に数カ所の計測をして、
データを国に報告する、というものだった。
そのために、市では一台10万円以上の価格を支払って、放射能測定器を40台購入したという。
(約500万円ですぞ・・・!)。
今年度、地域の防災担当役が持ち回りで、我が家となっており、その会合では機器の取り扱いについて説明があるという連絡を受けた。
除染対象市町村には国の予算がつく。
しかし、胸の中でモヤモヤする重い気持ちを抱えていた。
近隣は農家である。
「茨城のコシヒカリ」を初めとして、農作物を出荷している。
高い数値の放射能が計測されれば、「風評被害」どころか、死活問題。
低い数値であったなら?・・・つまり、取手市に国から除染の予算が来ないということになる。
この矛盾と苦悩。
事実は一つであるが、複雑な思いで、この役目を果たさねばならない。
地域の数カ所を測定しデータをとるのだ。
それを市がとりまとめ、国に報告する。
「汚染状況重点調査地域」マップを見ると、利根川を挟んで、茨城の取手市や守谷市、そして千葉の我孫子市や柏などが、このエリアに指定されていることがわかる。
利根川によって、東北地方からの風は吹き溜まりとなり、
私たちの近隣市町村を放射能汚染のホットスポットにしていたのである。
3.11の後、初めて降った雨が21日だっただろうか。
あの日、私は仕事で出掛けなければならなかった。
フード付きのコートを着用し、マスクをし、帰宅後は全身シャワーを浴びた。
事故の後の雨が、地上に舞い落ちて土を汚染することは、確実に予想できた。
原爆の後の「黒い雨」ではないが、「痛い」刺さるような雨だった記憶がある。
市役所の測定機器40台の購入に500万近くかかっている。
ごく簡易な測定器であるが。
これらが税金と思うと、40台も購入して各地区で住民に計測してデータを取るということを考えたことすら、「何を考えているんだ?」と感じる。
なおかつ、土の除染の仕方と注意書きが添えてある機器の説明文書にも腹が立つ。
「除染を各自個人でしてくれ」と言わんばかりだ。
国が除染してくれる市町村に指定されたというのに、調査結果が線量が高ければ個人で除染?
草刈の仕方まで、ご丁寧に添えてある。
まっさきに、身体の安全な方法を提示するべきだと思うのだが、最後に「添えて」あるのである。
新年早々、計測が始まるが、近隣の農家のみなさんの心境を思うと、役目とはいえ複雑な重たい気持ち。
役所の税金の使い方も納得できない。
「ただちに健康に影響を与える数値ではない。」
幾度も耳にした言葉が、今回も、むなしくこだまする。
そう。
確かに、体に異常が認められるのは数十年後。
その頃、「忘れないでいてね!」と申し上げたい。
私は、子供たち、次世代が心配です。責任を感じてしまいます。
原子力発電は安全・・・と、疑問も抱かずに電力を享受していたのですから。
指定された102市町村とは・・・放射線量が毎時0.23マイクロシーベルト以上で事故による追加被曝(ひばく)線量が年間1ミリシーベルトを超える区域があることが条件。
市町村名を活字で見ても、ピンとこないが、指定された102町村のマップを見ると、福島第一原発を起点とする放射能汚染が、どのように飛散しているかが如実にわかる。
福島第一原発と同じ福島県でも、除染区域として半分は指定されていないが、
私の生活している茨城の南部である取手市は、除染状況重点調査区域に色づけされている。
「汚染状況重点調査地域」マップ(asahi.comへ)
先週末、地域の会合があった。
市役所から地域毎に放射性物質測定機器の貸し出しがあるので、各地域毎に数カ所の計測をして、
データを国に報告する、というものだった。
そのために、市では一台10万円以上の価格を支払って、放射能測定器を40台購入したという。
(約500万円ですぞ・・・!)。
今年度、地域の防災担当役が持ち回りで、我が家となっており、その会合では機器の取り扱いについて説明があるという連絡を受けた。
除染対象市町村には国の予算がつく。
しかし、胸の中でモヤモヤする重い気持ちを抱えていた。
近隣は農家である。
「茨城のコシヒカリ」を初めとして、農作物を出荷している。
高い数値の放射能が計測されれば、「風評被害」どころか、死活問題。
低い数値であったなら?・・・つまり、取手市に国から除染の予算が来ないということになる。
この矛盾と苦悩。
事実は一つであるが、複雑な思いで、この役目を果たさねばならない。
地域の数カ所を測定しデータをとるのだ。
それを市がとりまとめ、国に報告する。
「汚染状況重点調査地域」マップを見ると、利根川を挟んで、茨城の取手市や守谷市、そして千葉の我孫子市や柏などが、このエリアに指定されていることがわかる。
利根川によって、東北地方からの風は吹き溜まりとなり、
私たちの近隣市町村を放射能汚染のホットスポットにしていたのである。
3.11の後、初めて降った雨が21日だっただろうか。
あの日、私は仕事で出掛けなければならなかった。
フード付きのコートを着用し、マスクをし、帰宅後は全身シャワーを浴びた。
事故の後の雨が、地上に舞い落ちて土を汚染することは、確実に予想できた。
原爆の後の「黒い雨」ではないが、「痛い」刺さるような雨だった記憶がある。
市役所の測定機器40台の購入に500万近くかかっている。
ごく簡易な測定器であるが。
これらが税金と思うと、40台も購入して各地区で住民に計測してデータを取るということを考えたことすら、「何を考えているんだ?」と感じる。
なおかつ、土の除染の仕方と注意書きが添えてある機器の説明文書にも腹が立つ。
「除染を各自個人でしてくれ」と言わんばかりだ。
国が除染してくれる市町村に指定されたというのに、調査結果が線量が高ければ個人で除染?
草刈の仕方まで、ご丁寧に添えてある。
まっさきに、身体の安全な方法を提示するべきだと思うのだが、最後に「添えて」あるのである。
新年早々、計測が始まるが、近隣の農家のみなさんの心境を思うと、役目とはいえ複雑な重たい気持ち。
役所の税金の使い方も納得できない。
「ただちに健康に影響を与える数値ではない。」
幾度も耳にした言葉が、今回も、むなしくこだまする。
そう。
確かに、体に異常が認められるのは数十年後。
その頃、「忘れないでいてね!」と申し上げたい。
私は、子供たち、次世代が心配です。責任を感じてしまいます。
原子力発電は安全・・・と、疑問も抱かずに電力を享受していたのですから。
2011年12月06日
朝鮮陶磁名品展
12月4日(日)朝8時前に陶房を出発し、東京へ。
当初の目的は、父の携帯電話にセットしてあったナビの再設定。
某電話サポートセンターの誤案内によって、ナビの再設定を余儀なくされた。
父の携帯電話と、こちらの携帯電話、そしてパソコンでのナビ機能を再度設定しなければならなくなった。
土曜日と打って変わって快晴。
電話会社の誤案内は迷惑だったが、父に会いに行くと思えば、と気を取り直して快晴の中、渋滞もなくドライブ。
再設定が済むまで一時間ほど。
父と先日、訪問した叔父との写真を見ながら、再設定が済むまで談笑して過ごした。
その後、父は恒例となっている巣鴨のお地蔵様ににお参りに電車で行くと言うので、駅で別れ
私は、他に用事もなかったので、すぐに取手に戻る予定で、東名高速のインターに向かった。
そこで、ハプニング!
東名のインター直前になって「ガソリンが足りない」事に気づいた。
進路を変更し、国道246号にでて、給油し、首都高速から高速道路に乗れば良い、とガソリンスタンドに向かう。
給油後、R246を走りながら、ふと・・・。
「あ、せっかくだから、なんども来そびれていた静嘉堂美術館に寄ってみようかな。」
とiPhoneで、静嘉堂のウェブサイトを検索。
展示案内を見て驚愕!
半ば諦めていた(静嘉堂を訪問したいと望んで数十年来、近くを通っても素通りの連続で縁がなかった。)静嘉堂での「朝鮮陶磁名品展」、この日が最終日だったのだ!
給油のためにR246を通る事になったのが、ラッキー!
そして、この日を選び父の携帯電話の再設定のためだけに朝から東京に出てきたのもラッキー!
「こ、こ、これは神様の思し召し!親孝行のご褒美??」と、胸は高鳴った(笑)。
静かな銀杏並木の入り口。
静嘉堂美術館に到着。
銀杏並木を美術館入り口に向かって歩いていると、
後ろから声をかけられた。
「あの、すみません。これから静嘉堂にいらっしゃいますか?」
と品の良い女性。
「はい。今日が最終日の朝鮮陶磁名品展に参ります。」と、お答えすると、
「よろしかったら、これ使ってください。」と、その女性が招待券(入場無料)をくださった。
「な、な、なんと、今日はラッキー!第三弾!!」
心の中で、今日の偶然を、ただ事ではないと思った。
こんなにラッキーなことが立て続けに起きるなんて。
そして、さらにラッキーだったのは、
「朝鮮陶磁名品展」で展示されていた高麗・李朝陶磁の素晴らしさ!
大阪東洋陶磁美術館で、一日、過ごした時と同様の胸から突き上げてくるような感動を味わった。
「美しい・・・・・。」
素晴らしい高麗青磁や粉青沙器、黒高麗、白磁、辰砂、極めつけは「井戸茶碗・越後」。
静嘉堂は、写真撮影が許可されていないので、「越後」をスケッチ。
もちろん、カタログは手に入れた。
小さな美術館だが、それだけに陶磁器を展示してあるショーケースが、小さ目で、
ガラス越しに、近い距離で陶磁器を拝謁できる。有難い、近距離であった。
「越後」を前に、井戸茶碗の釉薬の掛け方が一つ確認できた。
今年の直近の窯焚きで、私が試みたことは間違っていなかった。
つまり、「高台を指で持たずに、口縁と高台畳付きを手で持って施釉する。」
そのため、手ではさんだ部分に釉なだれが生じ、その部分に釉薬が厚く掛かる。
高台に指跡が残っている井戸茶碗が少ない理由が、この施釉方法で説明がつく。
他にも、拝謁して気づいた事が多々あるが、
「黒高麗」についても一つ確認できた。
私がこのところ成果が良いので、胸に抱えていた黒高麗の施釉について。
黒高麗は、二種類あって、一つは鉄化粧の上に青磁釉を掛けたものだが、
もう一つ、ずっとテストを続けているカリントウのような漆黒のしっとりした黒高麗は、
鉄分を含んだ石間朱を二度掛けして黒を発色させているという事。
見事に二度掛けを実証する壺が静嘉堂で拝謁できた。
名物の井戸茶碗では小振りな大きさの「越後」。
しかし、井戸茶碗に共通する「凛とした品格」を備えた作り。
実に清々しかった。
ラッキーな事が重なって、導かれたように訪れた静嘉堂美術館。
「朝鮮陶磁名品展」でのメモとスケッチは、私に貴重な示唆を与えてくれている。
井戸茶碗「越後」

玉子手茶碗「小倉山」

堅手茶碗「秋かぜ」

朝鮮陶磁名品展ポスター
当初の目的は、父の携帯電話にセットしてあったナビの再設定。
某電話サポートセンターの誤案内によって、ナビの再設定を余儀なくされた。
父の携帯電話と、こちらの携帯電話、そしてパソコンでのナビ機能を再度設定しなければならなくなった。
土曜日と打って変わって快晴。
電話会社の誤案内は迷惑だったが、父に会いに行くと思えば、と気を取り直して快晴の中、渋滞もなくドライブ。
再設定が済むまで一時間ほど。
父と先日、訪問した叔父との写真を見ながら、再設定が済むまで談笑して過ごした。
その後、父は恒例となっている巣鴨のお地蔵様ににお参りに電車で行くと言うので、駅で別れ
私は、他に用事もなかったので、すぐに取手に戻る予定で、東名高速のインターに向かった。
そこで、ハプニング!
東名のインター直前になって「ガソリンが足りない」事に気づいた。
進路を変更し、国道246号にでて、給油し、首都高速から高速道路に乗れば良い、とガソリンスタンドに向かう。
給油後、R246を走りながら、ふと・・・。
「あ、せっかくだから、なんども来そびれていた静嘉堂美術館に寄ってみようかな。」
とiPhoneで、静嘉堂のウェブサイトを検索。
展示案内を見て驚愕!
半ば諦めていた(静嘉堂を訪問したいと望んで数十年来、近くを通っても素通りの連続で縁がなかった。)静嘉堂での「朝鮮陶磁名品展」、この日が最終日だったのだ!
給油のためにR246を通る事になったのが、ラッキー!
そして、この日を選び父の携帯電話の再設定のためだけに朝から東京に出てきたのもラッキー!
「こ、こ、これは神様の思し召し!親孝行のご褒美??」と、胸は高鳴った(笑)。
静かな銀杏並木の入り口。
静嘉堂美術館に到着。
銀杏並木を美術館入り口に向かって歩いていると、
後ろから声をかけられた。
「あの、すみません。これから静嘉堂にいらっしゃいますか?」
と品の良い女性。
「はい。今日が最終日の朝鮮陶磁名品展に参ります。」と、お答えすると、
「よろしかったら、これ使ってください。」と、その女性が招待券(入場無料)をくださった。
「な、な、なんと、今日はラッキー!第三弾!!」
心の中で、今日の偶然を、ただ事ではないと思った。
こんなにラッキーなことが立て続けに起きるなんて。
そして、さらにラッキーだったのは、
「朝鮮陶磁名品展」で展示されていた高麗・李朝陶磁の素晴らしさ!
大阪東洋陶磁美術館で、一日、過ごした時と同様の胸から突き上げてくるような感動を味わった。
「美しい・・・・・。」
素晴らしい高麗青磁や粉青沙器、黒高麗、白磁、辰砂、極めつけは「井戸茶碗・越後」。
静嘉堂は、写真撮影が許可されていないので、「越後」をスケッチ。
もちろん、カタログは手に入れた。
小さな美術館だが、それだけに陶磁器を展示してあるショーケースが、小さ目で、
ガラス越しに、近い距離で陶磁器を拝謁できる。有難い、近距離であった。
「越後」を前に、井戸茶碗の釉薬の掛け方が一つ確認できた。
今年の直近の窯焚きで、私が試みたことは間違っていなかった。
つまり、「高台を指で持たずに、口縁と高台畳付きを手で持って施釉する。」
そのため、手ではさんだ部分に釉なだれが生じ、その部分に釉薬が厚く掛かる。
高台に指跡が残っている井戸茶碗が少ない理由が、この施釉方法で説明がつく。
他にも、拝謁して気づいた事が多々あるが、
「黒高麗」についても一つ確認できた。
私がこのところ成果が良いので、胸に抱えていた黒高麗の施釉について。
黒高麗は、二種類あって、一つは鉄化粧の上に青磁釉を掛けたものだが、
もう一つ、ずっとテストを続けているカリントウのような漆黒のしっとりした黒高麗は、
鉄分を含んだ石間朱を二度掛けして黒を発色させているという事。
見事に二度掛けを実証する壺が静嘉堂で拝謁できた。
名物の井戸茶碗では小振りな大きさの「越後」。
しかし、井戸茶碗に共通する「凛とした品格」を備えた作り。
実に清々しかった。
ラッキーな事が重なって、導かれたように訪れた静嘉堂美術館。
「朝鮮陶磁名品展」でのメモとスケッチは、私に貴重な示唆を与えてくれている。
井戸茶碗「越後」
玉子手茶碗「小倉山」
堅手茶碗「秋かぜ」
朝鮮陶磁名品展ポスター
2011年11月29日
CAVIN-MORRIS Gallery
先日のブログでも紹介させていただきましたが、
ニューヨークの陶芸ギャラリーとしては老舗であるCAVIN-MORRIS Galleryのウェブサイトに
私の作品が紹介されましたので、お時間がございましたら、どうぞご覧くださいませ。
http://www.cavinmorris.com/home.html
上記URLの作家リスト、中央下から四段目にTouri Maruyamaと掲載されています。
私の名前をクリックすると、先日お送りした作品をGallery専属のカメラマンが撮影した
作品画像がご覧いただけます。
作家リストを見るとお分かりですが、日本の陶芸家、それも第一線で活躍なさっている方々ばかりです。
CAVIN-MORRIS Galleryでのご紹介は、私にとっても大変光栄なことと感じます。
現在、物書きもなさっているオーナーが、私の作品についての文を書いてくださるという連絡をいただいています。どのような感想を伺えるのか、楽しみにしています。
私のウェブサイト内「個展案内」にもすでに掲載しましたが、来年2012年一月から三月まで、CAVIN-MORRIS Galleryが出展する、サンフランシスコ・メトロポリタン・ニューヨークのアート・ショウで、私の作品も紹介されます。
ここ一週間、家の工事を切っ掛けに、家中の大掃除をしました。
たくさんの廃棄物を処分し、ようやくすっきりしました。
気が付けば、クリスマス・カードと年賀状の準備の季節。
街中にはポインセチア。
小さなポインセチアの小鉢を購入し、窓辺に置いてみました。

ニューヨークの陶芸ギャラリーとしては老舗であるCAVIN-MORRIS Galleryのウェブサイトに
私の作品が紹介されましたので、お時間がございましたら、どうぞご覧くださいませ。
http://www.cavinmorris.com/home.html
上記URLの作家リスト、中央下から四段目にTouri Maruyamaと掲載されています。
私の名前をクリックすると、先日お送りした作品をGallery専属のカメラマンが撮影した
作品画像がご覧いただけます。
作家リストを見るとお分かりですが、日本の陶芸家、それも第一線で活躍なさっている方々ばかりです。
CAVIN-MORRIS Galleryでのご紹介は、私にとっても大変光栄なことと感じます。
現在、物書きもなさっているオーナーが、私の作品についての文を書いてくださるという連絡をいただいています。どのような感想を伺えるのか、楽しみにしています。
私のウェブサイト内「個展案内」にもすでに掲載しましたが、来年2012年一月から三月まで、CAVIN-MORRIS Galleryが出展する、サンフランシスコ・メトロポリタン・ニューヨークのアート・ショウで、私の作品も紹介されます。
ここ一週間、家の工事を切っ掛けに、家中の大掃除をしました。
たくさんの廃棄物を処分し、ようやくすっきりしました。
気が付けば、クリスマス・カードと年賀状の準備の季節。
街中にはポインセチア。
小さなポインセチアの小鉢を購入し、窓辺に置いてみました。
2011年11月19日
矯めつ眇めつ
人は鏡。
長いといえば長い人生を歩んできて、自分の来し方、生き様を通して、「人」として学ばせていただいてたんだなぁ、と気づくことがある。
人々の賞賛やら、人々の批判やら、誰しも日々の中で心に浮き沈みする心模様。
それら怒涛のように押し寄せ、流され、翻弄させられたりしている時には見えていなかったものが、
まるで魂のレクイエムのような沈静なる時のなかで、それらのコアが一体なんであったのかが浮かび上がり、やがて自分の本性が明確に見えてきて恥じ入り、なおかつ人々の心のコアも見えてくるのである。
孤独を味わう時間をあえて作る必然を感じる。
孤独とはネガティブな意味合いではなく、ポジティブな意味合いの孤独である。
自らすすんで、一人山に登り、ゲッセマネの園で血の汗を流したイエスの孤独は、大きな決断と共に、
すべてをありのままに受け入れ、人々の思惑のコアを知り、こういう言葉を使うことが許されるのならば、清濁併せのみ、自分の運命を受諾する決定的な孤独であっただろうと思いを馳せる。
何故生まれ、何故死ぬのか。
そう問いかけること自体が、今や青臭く感じる。
私たちにとって確実なことは、生まれて連綿と連なる祖先たちの血を受け継ぎながら、ある時は「はい」と言い、ある時は「いいえ」と言い、与えられた命がどういう運命であろうと、「生きる」「生ききる」ことを目の前に見据え、確実な運命の一つ「死」を眼中におかず、自我の欲求と生きるための本能で、その時々を生きることを切り抜ける術を学ぶ動物である。
日常の何気ない通常の人としての営みに、動物を感じ取って、心が一瞬フリーズすることがある。
動物の方がましかもしれない。彼らは言葉を発せず、痛みにも耐え、黙って生き抜き死んでいくのである。
殺し合いもあるが、人間ほど計算高い殺し合いはしない。いわば自然の営みとしての生死の戦いである。
おそらく、死後の世界を知っていれば、私たち人間は一番まっとうな道を選べるのではないか?と思うことがある。かく言う私ももちろん死後の世界は知りはしない。「こうするとこうなる」だからこちらを選択して生きる、という計算はもしかしたら、死後の世界への選択を決定する言動なのかもしれない、と、そこまで深く考えて決定選択をすることができれば、生きる道しるべとなるだろうに、と途方もないことを考えることがある。
過程から経験を積み道を歩んでいくのが、どうやらこの世での人間の修行らしいが。
死後の世界、あるいは死そのものについて、もっともっと考えれば、なおさら良い道程が人として歩めるだろうに、と思う。
何をするにも、人と自分の関連性は否定できない。
たとえ一人、孤島に住まっていようが、生きていく以上、他との関連なしには生きられないのが地球上の生命体なのだと思い知る。
罪の連鎖が、脈々と血の中に続いているように、それを断ち切る英知も与えられている。
与えられた場所で、与えられた役割、一つの命が生き切るということは、人々に知られようが知られまいが、それをすべて知って死のもたらす意味を再考せよと道しるべを与えてくれている偉人たちも人類の歴史を刻んできた。「いいえ」と言う難しさは、この世では相当しんどい思いを覚悟することでもある、「はい」とだけ言っている方が楽であり、ストレスも少ない。
ロダンの「考える人」の彫刻が、わたしたち人間が何を考えて生きよ、と示唆しているのか。
ふと上野の森で足を止めたことがあった。春夏秋冬の移ろいの中で、根を張り生きるのか、デラシネとして生きるのか、自由である。意志は自由である。決定も自由である。しかし生命体の連鎖のなかで、それに伴い責任というものが枝葉末節広がっていくことは厄介である。
良し悪し、の二元論を述べるつもりは全くない。カミュのように人間の不条理を身をもって知る年を重ねてきたという独り言である。
矯めつ眇めつ陶片を見ながら、学ぶように、物事を様々な角度から見て学び、究極は死後、あるいは死そのものの瞬間に、自分自身の選択と生き様が、死に様に反映されることを自戒をこめて生きていきたいものだと思う。
イエスの十字架での言葉。
「父よ、あの人たちは何も知らないのですから、お赦しください。」
この言葉の深淵。
私は、何も知らないのだ。
私たちは、何もしらないのだ。
「死」を体験していないのだから。
「死後」を学ぶことはできないのだから。
矯めつ眇めつ人を見る。自分を見る。学びは果てしなく続く。
矯めつ眇めつ茶碗を見る。自分を知る。高台を見る。土を見る。人という生き物の感動を見る。心打たれるような茶碗を残したい。言葉ではなく、心から心に。魂に響く、矯めつ眇めつ眺めて心地よい茶碗を。

長いといえば長い人生を歩んできて、自分の来し方、生き様を通して、「人」として学ばせていただいてたんだなぁ、と気づくことがある。
人々の賞賛やら、人々の批判やら、誰しも日々の中で心に浮き沈みする心模様。
それら怒涛のように押し寄せ、流され、翻弄させられたりしている時には見えていなかったものが、
まるで魂のレクイエムのような沈静なる時のなかで、それらのコアが一体なんであったのかが浮かび上がり、やがて自分の本性が明確に見えてきて恥じ入り、なおかつ人々の心のコアも見えてくるのである。
孤独を味わう時間をあえて作る必然を感じる。
孤独とはネガティブな意味合いではなく、ポジティブな意味合いの孤独である。
自らすすんで、一人山に登り、ゲッセマネの園で血の汗を流したイエスの孤独は、大きな決断と共に、
すべてをありのままに受け入れ、人々の思惑のコアを知り、こういう言葉を使うことが許されるのならば、清濁併せのみ、自分の運命を受諾する決定的な孤独であっただろうと思いを馳せる。
何故生まれ、何故死ぬのか。
そう問いかけること自体が、今や青臭く感じる。
私たちにとって確実なことは、生まれて連綿と連なる祖先たちの血を受け継ぎながら、ある時は「はい」と言い、ある時は「いいえ」と言い、与えられた命がどういう運命であろうと、「生きる」「生ききる」ことを目の前に見据え、確実な運命の一つ「死」を眼中におかず、自我の欲求と生きるための本能で、その時々を生きることを切り抜ける術を学ぶ動物である。
日常の何気ない通常の人としての営みに、動物を感じ取って、心が一瞬フリーズすることがある。
動物の方がましかもしれない。彼らは言葉を発せず、痛みにも耐え、黙って生き抜き死んでいくのである。
殺し合いもあるが、人間ほど計算高い殺し合いはしない。いわば自然の営みとしての生死の戦いである。
おそらく、死後の世界を知っていれば、私たち人間は一番まっとうな道を選べるのではないか?と思うことがある。かく言う私ももちろん死後の世界は知りはしない。「こうするとこうなる」だからこちらを選択して生きる、という計算はもしかしたら、死後の世界への選択を決定する言動なのかもしれない、と、そこまで深く考えて決定選択をすることができれば、生きる道しるべとなるだろうに、と途方もないことを考えることがある。
過程から経験を積み道を歩んでいくのが、どうやらこの世での人間の修行らしいが。
死後の世界、あるいは死そのものについて、もっともっと考えれば、なおさら良い道程が人として歩めるだろうに、と思う。
何をするにも、人と自分の関連性は否定できない。
たとえ一人、孤島に住まっていようが、生きていく以上、他との関連なしには生きられないのが地球上の生命体なのだと思い知る。
罪の連鎖が、脈々と血の中に続いているように、それを断ち切る英知も与えられている。
与えられた場所で、与えられた役割、一つの命が生き切るということは、人々に知られようが知られまいが、それをすべて知って死のもたらす意味を再考せよと道しるべを与えてくれている偉人たちも人類の歴史を刻んできた。「いいえ」と言う難しさは、この世では相当しんどい思いを覚悟することでもある、「はい」とだけ言っている方が楽であり、ストレスも少ない。
ロダンの「考える人」の彫刻が、わたしたち人間が何を考えて生きよ、と示唆しているのか。
ふと上野の森で足を止めたことがあった。春夏秋冬の移ろいの中で、根を張り生きるのか、デラシネとして生きるのか、自由である。意志は自由である。決定も自由である。しかし生命体の連鎖のなかで、それに伴い責任というものが枝葉末節広がっていくことは厄介である。
良し悪し、の二元論を述べるつもりは全くない。カミュのように人間の不条理を身をもって知る年を重ねてきたという独り言である。
矯めつ眇めつ陶片を見ながら、学ぶように、物事を様々な角度から見て学び、究極は死後、あるいは死そのものの瞬間に、自分自身の選択と生き様が、死に様に反映されることを自戒をこめて生きていきたいものだと思う。
イエスの十字架での言葉。
「父よ、あの人たちは何も知らないのですから、お赦しください。」
この言葉の深淵。
私は、何も知らないのだ。
私たちは、何もしらないのだ。
「死」を体験していないのだから。
「死後」を学ぶことはできないのだから。
矯めつ眇めつ人を見る。自分を見る。学びは果てしなく続く。
矯めつ眇めつ茶碗を見る。自分を知る。高台を見る。土を見る。人という生き物の感動を見る。心打たれるような茶碗を残したい。言葉ではなく、心から心に。魂に響く、矯めつ眇めつ眺めて心地よい茶碗を。


